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わたしはまことのぶどうの木

2024年4月27日・28日 復活節第五主日

ヨハネによる福音書15章1~8節

 

福音書  ヨハネ 15: 1~ 8 (新198)

15:1「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 2わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。 3わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。 4わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。 5わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 6わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。 7あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。 8あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。


先週に引き続き、教会は復活節の期節を過ごしています。日課は先週から復活直後のエピソードを離れて、ヨハネ福音書のイエス様の講話(お話集)に移りました。今日のお話でも、イエス様はたとえを用いて、ご自分がどういうお方であるかということをお教えになっておられます。


イエス様は今日のお話を「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」と言って始められます。このお話では、イエス様が「まことのぶどうの木」に、父なる神様が「農夫」に、そして弟子たちと人々が「ぶどうの枝」にたとえられています。先週私たちはイエス様の「わたしは良い羊飼いである」というお話を聞きました。色々な羊飼いがいる中でイエス様が「良い羊飼い」であるように、ぶどうの木も様々ある中でイエス様は「まことのぶどうの木」であると今日の聖書は語っているのです。


聖書の時代、羊や羊飼いが身近なものであったのと同様に、ぶどうの木やぶどう作りはイスラエルの人々にとって慣れ親しんだものでありました。ぶどうは創世記の時代から聖書に登場する植物です。創世記には、ノアはぶどう畑を作り、ヤコブの息子ヨセフはぶどうの木の夢を見たとあります。また、預言者たちはイスラエルの人々をぶどう畑にたとえてきました。


そんなぶどうの木に、イエス様はご自身をたとえておられます。枝に命を与え、実を結ばせることができる「まことのぶどうの木」です。それに対して父なる神様は農夫です。農夫が実を結ばない枝を切り取って、実を結ぶ枝だけを残すように、父なる神様はイエス様から出る枝を選別し、その運命を決定する権能を持っておられます。


イエス様は、枝の中には実を結ぶ枝と実を結ばない枝があると言われます。実を結ぶ枝とはすなわち、信仰をもって生きる人のことです。信仰を持つ人は神様から大切にされ、手入れを受けて、新しい実を生み出します。しかしその一方で、実を結ばない枝は取り除かれてしまうと言われています。


私たち読者はここで「自分はどちらの枝だろうか」と考えてしまうところですが、イエス様は今日のお話を、ご自分の言葉を聞く人はみな「実を結ぶ枝」であるという前提で話されています。イエス様は「私につながり続けなさい」と言っておられるのであって、「私につながっていなかった場合は地獄に行きます、ちなみにつながっているかどうか確認する方法はありません」とか言うためにわざわざこのお話をされているのではありません。3節では弟子たちがイエス様の言葉によって「既に清くなっている」と言われています。同じように私たちはイエス様の言葉によって既に「清い者」「実を結ぶ枝」とされているのです。


そうだとすれば、私たちがしなければならないことは「実を結ぶ枝になる」ことではなく、「実を結ぶ枝であり続ける」ことです。信仰を持ち続けてイエス様につながっていることです。枝は自分の力では実をつけることができません。枝は、枝を養うぶどうの木につながっている時にだけ実をつけることができます。私たちが信仰の実を結ぶには、神様の力が必要なのです。


では私たちに信仰を与える神様の力とは何でしょうか。それは神の愛であると聖書は語っています。今日の第二の日課であるヨハネの手紙Ⅰの4章にはこうあります。「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」私たちがイエス様というぶどうの木につながり、イエス様のうちに留まっている時、私たちは神様の愛の中にいます。その神様の愛が、私たちに信じる力を与え、私たちに豊かな実を結ばせてくださるのです。


イエス様はまことのぶどうの木、私たちはその枝です。枝である私たちが実を結ぶためには神様の助けが必要です。神様の助けがあるから、私たちは信仰を持って生きていくことができます。私たちを愛の力で包み、すべてを与えてくださる神様に信頼して、これからも信仰生活を送ってまいりたいと思います。


 

4月27日・28日 教会の祈り

 

司)祈りましょう。

 

全能の神様。世界が平和でありますように祈ります。私たち人間の犯す争い、破壊、混乱をお許しください。命を脅かされ、心身に傷を負っている人々を顧みてください。この世のすべての人々が愛と平和のもとで共に生きる者となりますように。

 

恵みの神様。四月から北九州地区の教会は新体制に移行しました。この変化の時にあって、私たちの信仰を守り、み前に集う喜びを増し加えてください。これからの北九州地区の歩みがあなたの御心にかなったものとなりますように、私たちを導いてください。

 

慈しみの神様。社会福祉法人光の子会のために祈ります。光の子会の利用者のみなさん、職員のみなさん、そして組織を支えるルーテル教会を顧みて、祝福してください。「みんなそれぞれが光の子として命を輝かせる」という光の子会の営みを通して、ますます主の栄光が証しされますように。

 

私たちの主イエス・キリストによって祈ります。

会)アーメン

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