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  • Writer's picturejelckokura

幸いである

2022年2月13日 顕現後第六主日

ルカによる福音書6章17~26節


福音書  ルカ6:17~26 (新112)

6: 17イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、 18イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。 19群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。

20さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。

「貧しい人々は、幸いである、

神の国はあなたがたのものである。

21今飢えている人々は、幸いである、

あなたがたは満たされる。

今泣いている人々は、幸いである、

あなたがたは笑うようになる。

22人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。 23その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。

24しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、

あなたがたはもう慰めを受けている。

25今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、

あなたがたは飢えるようになる。

今笑っている人々は、不幸である、

あなたがたは悲しみ泣くようになる。

26すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」


顕現節の終わりに向けて今日も聖書を読んでまいります。先週はイエス様がシモン・ペトロを弟子にされるお話を聞きましたが、その後イエス様は各地で人々を癒し、十二人の弟子を選ばれ、今日の舞台である「平らな所」に来られます。そこにはイエス様の教えを聞くために方々からたくさんの人が集まっていました。


そこでイエス様は口を開き、弟子たちに四つの幸いと不幸について教え始められます。いわゆる「平地の説教」と呼ばれている講話です。説教の前半ではイエス様が四つの幸いと、それと対をなす四つの不幸について語っておられます。今日はそれを一つずつ見ていきたいと思います。


まず一つ目は「貧しい人々は、幸いである」です。これは自ら望んだわけではなく貧しい人も含みますし、あえて所有物を手放して神の国の到来を待つ生き方をしている人も含みます。この講話の聴衆が「弟子たち」とされていることから考えると、後者の意味合いが強いでしょう。いずれにせよ、自分の所有物に寄り頼むことのない人は神様に心を向けやすいので幸いであると言われています。


二つ目と三つ目は「今飢えている人々は、幸いである」「今泣いている人々は、幸いである」です。これらも一つ目と同じ理屈ですが、今この世で充足をおぼえていない人の方が、真剣に神を求めるのだと言われています。「今」とイエス様が語っているのは、「終わりの日」「神様の時」が来れば飢えや渇きは癒され、神がすべての涙をぬぐってくださると信じられているからです。現在の不自由は一時のものであるのだから、来るべき終末を念頭において行動しなさいということが言われています。


四つ目は「人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである」です。実際にイエス様を信じる人たちはこのようなひどい扱いを受けることがありましたが、その苦しみが必ず報われるということが語られています。イエス様を信じるということは、即時的な幸せをもたらさないけれども、最終的にはその人に幸いをもたらすということが言われています。


イエス様がおっしゃっているのは、ある種の逆転現象です。社会の中でぞんざいに扱われ、つらい思いをしているような人にこそ私はよい知らせを伝えに来た、というメッセージが語られています。イエス様はこの世で力を持っている人々をもっと幸せにするために来られたのではありませんでした。そうではなくて、誰にも顧みられないような片隅に光を当てるために、人となってこの世にお生まれになったのです。


それをふまえた上でも、この教えを日々の生活の中で実践するということは難しいことです。そもそもイエス様と弟子たちは本当に何も所有していなくて神の国に一直線に向かっていたとしても、結局のところ行く先々で資産のある人に食べ物やお金を分けてもらって暮らしていたわけですよね。それなのに富んでいる者は不幸だとかよくそんなことが言えたなと思います。


でもそういう忖度(そんたく)をせずに貧しい人が幸いなんだ、みんなこの生き方を目指そう、みたいに言ってしまえるところがイエス様のすごいところなのかもしれません。イエス様は過激です。そして実際にイエス様は徹底して貧しい者、弱い者の味方でおられたお方です。そしてあなたが貧しくなる時、泣いている時、憎まれている時、私を思い出しなさいと言っておられます。そういう時こそ、イエス様はあなたにもっとも近づくことができるからです。


私たちは人間の本能として豊かになろうとしますし、できれば人に分け与えられるくらい豊かになりたいと望みます。実際に不自由のない生活をして周りの人に色々してあげられたらそれが一番幸せだと思います。しかしそれが叶う時ばかりではありません。豊かになりたいと思ってもうまくいかないこともあるし、いつも笑顔でいたいと思っても悲しいことは起こるし、みんなに好かれたいと思っていても誰かに憎まれていたりします。しかしそんな時こそ、私たちは神様により一層心を向けることができます。そうすることで、これまで意識してこなかった霊的な「幸い」を得ることができるとイエス様は言われているのです。


イエス様は徹底して「貧しさ」「飢え」「悲しみ」「不調和」の中に生きようとされた方でした。そしてそのご自分が歩まれた道を、神の国に通じる道として私たちにも示してくださいました。私たちはわずかでもこの道を歩むことができれば、イエス様のおっしゃる「幸い」を受け取ることができるでしょう。この世的に言えば、できればしたくない体験と言うのはたくさんあります。しかし信仰生活においては、欠乏や悲しみも含めて、すべてが糧となるのです。そのことを信じつつ、また来週この続きを読んでまいりましょう。

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