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キリストの平和

Updated: Aug 6, 2022

2022年8月7日 平和主日

ヨハネによる福音書15章9~12節


ヨハネによる福音書15章9~12節

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。


本日は平和主日です。日本福音ルーテル教会では8月の任意の日曜日(多くは第一日曜日)を「平和主日」として定め、平和について祈る礼拝を行っています。日本基督教団でも8月の第一主日は「平和聖日」と呼ばれていて、同じく平和を祈る日とされています。


私たちルーテル小倉教会・直方教会は毎年様々なやり方で平和主日の礼拝を守っていますが、今年は藤本新二先生にご紹介いただいた安東邦昭著『小倉メモリアルクロスの記憶~日本とフィリピンの国交回復に尽くしたYMCA』という本から、キリスト教と平和について考えてみたいと思います。


小倉メモリアルクロスは小倉北区足立山中腹に建設された高さ約20メートルの巨大な十字架です。朝鮮戦争で戦死したアメリカ軍兵士の慰霊のために1951年に建てられたものです。十字架は小倉市街地を見下ろすように、朝鮮半島に向かって建っています。


朝鮮戦争当時、北九州はアメリカ軍の駐留や補給の拠点でした。多くのアメリカ兵がここから旅立ち、戦場から遺体になって北九州に戻ってきたそうです。やがてその悲惨な状況が小倉YCMA(キリスト教青年会)にも伝えられ、YMCA主導のもとメモリアルクロスが建設されるに至りました。小倉メモリアルクロスは、日本人が、キリスト教精神にのっとって、外国人戦死者の慰霊のために建設した十字架であり、これは日本の歴史上大変珍しいものでした。


朝鮮戦争の戦死者を慰めるために建てられたメモリアルクロスは、その後思わぬ用いられ方をします。メモリアルクロスはアジア・太平洋戦争後の日本とフィリピンの和解を促し、フィリピンに収容されていた日本人戦犯の恩赦をもたらしたのです。


ご存じの通り先の戦争において激戦が展開されたフィリピンでは、旧日本軍による多くの残虐行為が行われ、戦後、一般市民の殺害、虐待、強姦などのかどで多くの日本兵が裁判にかけられました。戦犯となった者はフィリピンに抑留され、収監されて死刑を含む刑の執行を待つことになったのです。


そうした状況を受けて、日本では彼らの助命・減刑嘆願運動が盛んに行われるようになりました。中には日本人であるというだけで罪を着せられて収監されたという人もいたからです。しかし当時のフィリピン大統領であったエルピディオ・キリノ氏は恩赦に対して厳しい姿勢を見せていました。なぜなら彼もまた妻と三人の子どもを目の前で日本軍に殺されていたのです。


そのような中で、助命・減刑嘆願運動を行う団体は対日感情を好転させようと、フィリピンから観光団を呼ぶことになります。総勢137人、戦後最大の観光団でした。それを受け入れたのが北九州のYMCAです。二日間の観光プログラムでは和布刈(めかり)公園や八幡製鉄所、高塔山(たかとうやま)などを案内するとともに、観光団をメモリアルクロスに案内し、そこで平和を願う礼拝を捧げたそうです。


この試みは大成功し、観光団が小倉メモリアルクロスの前で撮った記念写真はキリノ大統領の手にもわたります。敬虔なカトリック信者であったキリノ大統領はメモリアルクロスを見て非常に驚き「かつてあのような残虐であった日本にも今はキリストの十字架が立つまでになった。しかも日本人の手で建てられた。」と語ったそうです(109~110頁)。


この時キリノ大統領は恩赦について逡巡(しゅんじゅん)していました。関係各所から日本人戦犯の助命・減刑の要望が多く寄せられていたからです。『小倉メモリアルクロスの記憶』には当時のキリノ大統領の葛藤について「(恩赦については外交上の葛藤と共に)カトリック信徒として一家惨殺の十字架をいかに受けとめるのかという信仰上の葛藤も抱えていた。それは『汝の敵を愛せよ』の聖書からのメッセージをどう受け止めるか、怒りと憎しみをどう解決するかであったろう。」と書かれています(97~98頁)。


そうしてキリノ大統領は、苦悩の末、1953年のフィリピン独立記念日に日本人戦犯に大統領恩赦を与えます。総勢108名の戦犯たちが減刑・釈放され、日本に戻ることになったのです。この大きな決断は自身の信仰や日本との関係回復を考慮してのことでした。


キリノ大統領は恩赦の前、極東キリスト教会評議会の場でこう語っています。「主に倣って、私たちは憎しみや恨みの気持ち、あるいは隣人に対する否定的な精神を永遠に持ち続けるわけにはいきません。天に主がおられると信じる限り、私たちは自分たちの高潔さと尊厳を示すため、すべての苦しみを主に委ねるからです。」(98頁)


目の前で日本軍に家族を殺され、厳格な姿勢で戦犯に臨んでいたキリノ大統領は、自らの信仰に依り頼むことで、日本軍という許しがたい敵を許すという決断に至りました。小倉の地に日本人によって建てられたメモリアルクロスの写真を目にし、思わぬ形で福音宣教の力を知ったことも、キリノ大統領の信仰を強める一助となっていたことでしょう。


このメモリアルクロスのお話は、和解をもたらす一つの大きな原動力は、信仰であり神様であるということを私たちに教えてくれます。神様がいてくださらなければ、戦争の傷あとを乗り越えて和解に至るということは大変難しいことです。どうやっても忘れられない、どうやっても許しえない、そういうことが戦争ではたくさん送ります。戦争によって日本が受けた傷、そして戦争によって日本がアジア各国に与えた傷は大変大きなものでした。私たちは今も、世界の人々と複雑な感情のうちに関わりあっています。


そんな中にあって、主にあって許し難きを許すというキリノ大統領のエピソードは、私たちに和解と平和の希望を与えてくれるのではないでしょうか。自らの敵の命を助ける、自らの悲しみや憎しみと葛藤しつつも、イエス様に倣って敵を許し敵を愛するというのは、私たちが目指す一つの究極的な信仰者の在り方です。


神様は小倉YMCAを導いてこの地にメモリアルクロスを建設され、それを目にしたキリノ大統領のうちに信仰からくる許しを与えてくださいました。神様は絶対に和解できないと思われていた日本とフィリピンの人々を信仰によって結び合わせ、神様の愛の力で和解させてくださったのです。


このような素晴らしい奇跡を導いた小倉メモリアルクロスは今も小倉の街を見下ろして立ち続けています。私たちもこのメモリアルクロスから平和のバトンを受け取って、主のみ言葉を聞き、主の心を自らの心として、平和と和解を求めてまいりたいと思います。



安東邦昭著『小倉メモリアルクロスの記憶~日本とフィリピンの国交回復に尽くしたYMCA』図書出版木星舎、2020年

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