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直方のペリカン

Updated: Oct 7, 2020


2020年4月5日 主の受難

マタイによる福音書26章14節~27章66節


18: 1こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。 2イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。 3それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器を手にしていた。 4イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。 5彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。 6イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。 7そこで、イエスが「だれを捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスだ」と言った。 8すると、イエスは言われた。「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」 9それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。 10シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。 11イエスはペトロに言われた。「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」

12そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、 13まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。 14一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイアファであった。

15シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、 16ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は、出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。 17門番の女中はペトロに言った。「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」ペトロは、「違う」と言った。 18僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。

19大祭司はイエスに弟子のことや教えについて尋ねた。 20イエスは答えられた。「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。 21なぜ、わたしを尋問するのか。わたしが何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々がわたしの話したことを知っている。」 22イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか」と言って、イエスを平手で打った。 23イエスは答えられた。「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」 24アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った。

25シモン・ペトロは立って火にあたっていた。人々が、「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」と言うと、ペトロは打ち消して、「違う」と言った。 26大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が言った。「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか。」 27ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。

28人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。 29そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、「どういう罪でこの男を訴えるのか」と言った。 30彼らは答えて、「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう」と言った。 31ピラトが、「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言うと、ユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。 32それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。 33そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。 34イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」 35ピラトは言い返した。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」 36イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」 37そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」 38ピラトは言った。「真理とは何か。」

ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。 39ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」 40すると、彼らは、「その男ではない。バラバを」と大声で言い返した。バラバは強盗であった。

19: 1そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。 2兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、 3そばにやって来ては、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、平手で打った。 4ピラトはまた出て来て、言った。「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」 5イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。 6祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは言った。「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」 7ユダヤ人たちは答えた。「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」

8ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、 9再び総督官邸の中に入って、「お前はどこから来たのか」とイエスに言った。しかし、イエスは答えようとされなかった。 10そこで、ピラトは言った。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」 11イエスは答えられた。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」 12そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」

13ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。 14それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、「見よ、あなたたちの王だ」と言うと、 15彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。 16そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。

こうして、彼らはイエスを引き取った。 17イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。 18そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。 19ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。 20イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。 21ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。 22しかし、ピラトは、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。

23兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。 24そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、

「彼らはわたしの服を分け合い、

わたしの衣服のことでくじを引いた」

という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。 25イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。 26イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。 27それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

28この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。 29そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。 30イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。

31その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。 32そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。 33イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。 34しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。 35それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。 36これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。 37また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。

38その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。 39そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。 40彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。 41イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。 42その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。


先週初めて直方教会の礼拝に出席させていただきました。とても美しい礼拝堂ですけれども特にこの聖壇の布が目に留まりました。ペリカンの刺繍がしてありますね。実際のペリカンはもっとくちばしが大きいですが、教会では白い鳥がひなに餌を与える構図のものはまとめて「ペリカン」と扱います。こういう布に使われているのはあまり見たことがないですけれども、ペリカン自体は非常に伝統的なキリスト教のシンボルです。私たちがよく目にするシンボルには子羊とかぶどうの木とか鳩とか、そういうものがありますね。あんな感じでペリカンも会堂の装飾などによく用いられてきました。

鳩が平和や聖霊を象徴するように、ペリカンのモチーフはイエス・キリストを、特にイエス様の自己犠牲の愛を表します。よく見るとこの胸の部分から血が出ているんですけれども、ペリカンは自分の胸を切ってそこから出た血で自分の子どもを養うという伝説がありました。(まあ、実際には魚とかあげてるみたいですけど…。)そういうわけで、中世以降のキリスト教徒たちは、ペリカンが餌をやる姿に、自らが流された血をもって私たちを生かしてくださるキリストを思い浮かべたのでした。

昔の人のこういう世界観って本当に信仰深いなあと思います。今の私たちなら、どうでしょうか。ペリカンは自分の血で子どもを養うと聞いて、例えば動物に詳しい人なら、大自然の厳しさみたいなものを想像するかもしれませんし、家族が一番大事と思っている人なら、母親とか保護者の愛の偉大さみたいなことを語りたくなるかもしれません。しかし中世のキリスト教徒たちがこの変わった鳥を通して見たのは、キリストの愛でした。ペリカンの親鳥に、イエス様を、自らが血を流すことによって私たちをあがなってくださったイエス様を重ね合わせ、そしてこのひな鳥に、親鳥の血を当然のように、我先にと受け取って、大きくなっていくひな鳥に、私たち人間の姿を重ね合わせたのです。

ペリカンの子どもたちは、親鳥の血がなければ生きていくことができません。しかし一方で、生きるのに必死で、親鳥の自己犠牲のありがたみに思いをはせることはありません。当然のように餌を受け取って、もっとくれもっとくれと言って、いつか親鳥に養ってもらっていたことを忘れていってしまう。それは私たちも同じではないでしょうか。イエス様の犠牲、イエス様の愛によって救われたことを忘れて生きているのです。

今日は主の受難(受難主日)の礼拝です。まさに今日、私たちは、イエス様が私たちにとってペリカンの親鳥であることを再び思い起こすように招かれています。イエス様が私たちのために血を流され、私たちのために死なれたことをこの日改めて知るのです。聖書はイエス様の受難の物語を語ります。福音書の朗読を通して、イエス様が裏切られ、罪もないのに捉えられて、不当な裁判にかけられ、侮辱されて、暴行された上に、十字架という残酷な手段で処刑されたということを私たちは聞きました。

イエス様が死なれた時、イエス様は犯罪者として、神を冒瀆する者として、罪人として、処刑されました。受難の物語の中で人々はイエス様に「ユダヤ人の王」「神の子」と呼びかけますが、それはイエス様が神の子だと心から信じていたからではなくて、イエス様を侮辱するためでした。本当は神の子でもなんでもないくせに、神の子のように振る舞ったから、お前はこんな目に遭うのだと言わんばかりでした。

イエス様は人々の間でひとりぼっちでした。イエス様に従ってきた弟子たちはみんな逃げてしまいました。かつてイエス様を喜んで迎えた群衆は、今度はねたみからイエス様を十字架につけろと叫んでいました。そうやって、イエス様は人々に唾を吐きかけられ、殴られ、鞭で打たれ、最後は手と足をくぎで打たれて十字架につけられました。

その間ずっとイエス様は沈黙しておられました。イエス様はゲッセマネの園でひとり「この杯をわたしから過ぎ去らせてください、できることならわたしをこんな目に遭わせないでください」と神に祈られていることからも、イエス様は決して喜んで十字架にかかられたというわけではないでしょう。しかしイエス様は、神の子として、最後まで神の御心に従い、十字架の苦しみを忍耐されたのです。残酷さと孤独。苦しみと忍耐。イエス様の犠牲。それが、私たちが今日聞いた物語です。

どうして私たちは、毎年毎年、このイエス様のご受難の物語を、こうしてわざわざ集まって聞くのでしょうか。それはイエス様が私たちのためにこれらのことを耐えられたということを繰り返し受け取るためです。この物語が、私たちのため、私たちの罪のゆるしと、救いのために起こったということを忘れないようにするためです。

イエスがこのほかでもない私、ほかでもないあなた、を救うために十字架で死なれたということを思うとき、私たちははじめてそれを救いの出来事として受け止めるようになります。十字架によって、イエスが私たちの罪をあがなってくださったということ。私たちは罪人であって、本来私たちが負うべき責めをキリストが肩代わりしてくださるということ。そして、キリストの十字架によって、私たちは罪と死の代わりに恵みと慰めを受け取ることになったということ。この神の愛を、私たちはこの悲惨な物語の向こう側に信じているのです。

イエス様がただ死なれたなら、それはただの悲しい事件です。しかしイエスが私のために死なれたなら、それは私の救いです。イエス様が私たちのために、苦しみ、死なれたことを今日再び思い起こしましょう。この直方のペリカンの向こうに、こうして血を流してまで私たちを愛してくださるイエス様と、その血によって生かされている私たちを見たいと思うのです。

イエス様はこのペリカンのように、血を流し、死なれました。そして今、復活を待つ間、イエス様は傷だらけの体で墓に納められています。来週はイエス様が死から復活されることを祝うイースターです。それまでの間、今日の受難の物語を心におさめて、復活の日を待ち望みたいと思います。


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