2023年5月14日 復活節第6主日
ヨハネによる福音書14章15~21節
福音書 ヨハネ 14:15~21(新197)
15「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。 16わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 17この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。 18わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。 19しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。 20かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。 21わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
今はイースターからペンテコステにかけての復活節の期節を過ごしています。復活の日のエピソードから読み始めて、今日はいよいよイエス様によって聖霊が約束されるという場面まで読み進めました。復活されたイエス様はひと時弟子たちと共に地上で過ごされましたが、40日後に再び天に昇られます。来週がその40日後を記念する昇天日の礼拝になり、再来週が聖霊が降ったことを祝うペンテコステです。今は復活の喜びを味わい、聖霊降臨に向けて心を整える時期であると言うことができます。私たちはイエス様が復活されてまた天に昇っていかれるということを追体験して、そしてイエス様がご自分の代わりに聖霊を送ってくださったことの喜びを改めて味わうのです。
今日の福音書の日課は先週に引き続きヨハネ福音書14章のみことばです。この部分は、イエス様が最後の食事のなかで弟子たちに語られた言葉であり、イエス様が弟子たちに向けて残された最後の言葉(告別説教、遺言)にあたる部分です。このお話の後、イエス様はいよいよ捕らえられて十字架にかけられることになります。イエス様はこれからご自分に起こることをご存じでしたので、弟子たちに別れの言葉を残されたのです。
イエス様が弟子たちに残された言葉のうち、今日最も強く語られていたのは「わたしはあなたをひとりにしない」というメッセージです。私たちは先週、私たちはいずれイエス様という道を通って、父なる神様のもとに迎えていただけるということを聞きました。いずれ天国で神様と一緒にいられるということは大変ありがたいことですが、では今はどうなんだろうという疑問も感じます。私たちは天国に行く時まで、死後の幸せを頼りに、神様から離れて孤独に生きていかなければならないのでしょうか。
そうではない、とイエス様は言われます。あなたはこの地上においてもひとりではない、とイエス様は言われるのです。しかしそれは、イエス様がかつてご自分の弟子たちにされたように、この地上で私たちと一緒に旅をしてくださるということではありません。そうではなくて、「別の弁護者」を与えて、その弁護者がいつも私たちと一緒にいるようにしてくださるというのです。聖書によれば「別の弁護者」とは真理の霊であって、教会はこの弁護者のことを三位一体における「聖霊なる神」であると解釈してきました。「弁護者」と訳されている「パラクレートス」というギリシア語は助け主、後見人という意味を持つ言葉です。聖霊は私たちの味方になって私たちの利益を守り、私たちを援助してくれる存在です。
聖霊なる神は目に見えない神です。弟子たちがイエス様を見たように私たちが聖霊を見ることはできません。旧約聖書においても、聖霊は息や風など、確かに存在はするものの、目に見えず、つかまえることのできないものにたとえられています。このように目には見えない聖霊ですが、聖霊を送って私たちがいつも神様と一緒にいられるようにしてくださるというイエス様の約束は、確かなもの、信じるに値する約束です。
それではこの聖霊はどこにいるのでしょうか。イエス様は、聖霊は私たちの内にいる、と言われます。聖霊が私たちの内に宿り、私たちの内に働かれるというのです。人間は自分の「外」にある対象については分析したり判断したりすることが比較的容易にできますが、「内」にあるものに対してははっきりとその輪郭を捉えることができません。その対象が自分自身と分かちがたく一体であるからです。私たちにとって聖霊は目に見えず、つかまえることのできないものですが、聖霊なる神は私たちの内にあり、私たちと分かちがたく共におられます。
私たちをひとりにしないために、イエス様は聖霊を送られました。私たちが地上にあっても聖霊によって導かれ守られるためです。イエス様が弟子たちと共にいてくださったように、いま聖霊は教会と、私たちと共におられます。イエス様がそうしてくださったことで私たちはどんな時も神と共に生きることができます。これが「わたしはあなたを一人にしない」というイエス様の約束です。
イエス様は先週の箇所で繰り返し「わたしはまた戻ってくる」と言われていました。そしてまた、今日の箇所でも「わたしはあなたがたを一人にしない」ということを言われています。イエス様がこれほどまでに「また会える」「あなたはひとりではない」と言ってくださるのは、人というのが本来別れや孤独に対して弱い存在であるからでしょう。私たちにとってイエス様と離れていることはとても不安なこと、とても不幸なことです。イエス様はそんな私たちに繰り返し「神はあなたと共にいる」という言葉をかけてくださいます。人間は弱くても、神様の愛に気づくことができれば生きる力が湧いてくるからです。イエス様がお望みなのは人が神のように強くなって一人で生きていくことではありません。人が神に愛されて、人が弱いままの姿であっても神に受け入れられて、神と一つになって共に歩むことです。
神様は私たちの内にあり、私たちと共に生きておられます。これまでも、これからも、神様は私たちと共におられます。イエス様が送ってくださる聖霊がそれを可能にしています。今年のペンテコステは5月28日です。聖霊が降るのを楽しみに待ちたいと思います。
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