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クリスマスおめでとう

2023年12月24日 主の降誕

ルカによる福音書2章1~20節

 

福音書  ルカ 2:(1~7&)8~20 (新103)

(1そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。 2これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 3人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 4ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 5身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。 6ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 7初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。)

 

8その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 9すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 10天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 11今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 12あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 13すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。

14「いと高きところには栄光、神にあれ、

地には平和、御心に適う人にあれ。」

15天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 16そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。 17その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 18聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。 19しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。 20羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。


クリスマスおめでとうございます。私たちが待ち望んだ救い主がいよいよお生まれになりました。今日は四教会一牧師体制になる前の最後のクリスマスとなりますが、こうしてたくさんの方といつも通りのお祝いができることをうれしく思っています。


今の私たちにとってクリスマスというのは一大イベントですが、実はキリスト教の長い歴史において、クリスマスというのは比較的後になってから生まれた祝祭日です。四世紀になるまで、12月25日にイエス・キリストの誕生を祝うという習慣は存在していませんでした。


それまでの教会は、何といってもイースター、その次にペンテコステ、その次に顕現日を重んじていて、イエス様のお誕生というのは顕現日で祝われる内容の一部に過ぎなかったと言われています。


しかしながら、四世紀前半に、冬至を祝う他宗教のお祭りと競合する形でキリストの誕生が祝われるようになると、このクリスマスという祝祭日は急速に成長して、顕現日から分離していきました。それまで顕現日には「キリストの誕生」「占星術の学者たちの来訪」「イエスの洗礼」「イエスの最初の奇跡」といった複数のことがらが同時に記念されていましたが、そこから「キリストの誕生」が分離して12月25日に祝われるようになったのがクリスマスであるということになります。


クリスマスの出現はキリスト教徒たちの信仰生活をどのように変えたでしょうか。きっとそれは人々に、イエス様が人となってこの世に来られたことの奇跡を改めて思い起こさせただろうと思います。死からの復活、聖霊降臨の奇跡といった栄光あふれる出来事に加えて、イエス様の経験されたひっそりとしたお生まれを祝うことで、キリスト教における神の在り方というものがより深く理解できるようになったのではないでしょうか。


イエス様の誕生物語は、皇帝アウグストゥスによる住民登録の勅令から始まります。アウグストゥスは紀元前31年から紀元後14年にかけてローマの皇帝であった人物です。当時イスラエルはローマ帝国の監督下に置かれていましたから、すべての住民は各々の先祖の土地に赴いて住民登録を済ませ、土地の権利を確認する必要がありました。


イエス様の父はヨセフ、母はマリアです。父のヨセフはダビデの家の生まれでありました。彼はガリラヤに住んでいましたが先祖はベツレヘムの人でしたので、住民登録のためそこに帰ることになります。ナザレとベツレヘムの間には約120キロメートルの距離がありました。昔の人の足でも3日か4日はかかる距離です。マリアがイエス様を身ごもる中、二人は大変な思いをしてベツレヘムを目指したのでした。


住民登録のためにベツレヘムに滞在したマリアとヨセフでしたが、ベツレヘムにいる間にマリアは出産します。そうして生まれてきたのがイエス様でした。7節には生まれてきた赤ちゃんのイエス様が飼い葉桶に寝かされたとあります。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」というのがその理由です。しかしそもそもベツレヘムのような小さな町に宿屋が存在したかどうかということについては疑問が持たれていて、おそらくは親戚の家に泊まったのだろうという説もあります。(そして当時の民家は客間と家畜小屋が続き間になっていました。)


しかしいずれににせよ、イエス様が何の変哲もないおうちにお生まれになったということは変わりません。クリスマスの慣習が広まって、死にさえ打ち勝たれたあの全能の神が寒い夜にひっそりとお生まれになるのを改めて祝った時、当時の信仰者たちはまた新しい感動を覚えただろうと思います。そしてイエス様のことをより愛し、それぞれの信仰を深くしていったのだと思います。その祝いの感動は今日にいたるまで続いています。


今日の聖書のお話で、イエス様は一言も発しません。特徴のある姿で生まれてきたとも書かれていません。どこにでもいるような両親から、下手したら宿屋もないような田舎の町で、他の赤ちゃんと同じように生まれてきて、飼い葉桶に寝かされています。私たちキリスト教徒はそれこそが奇跡であると考えます。神が人となり、人と同じように生きてくださったということの奇跡、そのありがたさをクリスマスが来るたびに感じているのです。


この「神が人になる」という考え方は、キリスト教の大きな特徴です。宗教というのはそれぞれに異なる神の概念を持っています。宗教によって色々な神様像があって、それは「人が神のレベルに達するまで天の高いところで待っている存在」であったり「預言者や天使を送って自らは人間と交わることのない存在」であったり「天の上から地上を観察していて時々地上に遊びに来る存在」であったりします。


それに対してキリスト教では「私たちのために人になってくださった神」を信じています。イエス様が人間の赤ちゃんとして生まれて、私たちと同じように生きて、人間でいることの喜びや悲しみを知ってくださったお方であるということに救いを見い出しています。イエス様は「待ってる」人でも「自分は行かずに使いを送る」人でもなく、私たちの隣に「来てくださる」お方です。それも「自分の暇つぶし」や「人間体験」のためではなくて「私たちの救いのため」に来てくださるお方です。


ですから教会はこうしてクリスマスを祝います。イエス様はこの日、神でありながら人間の赤ちゃんとして生まれてくださいました。人間であることの悩みや苦しみを知り、人々を憐れんでくださいました。「神が人となられ、人と共に生き、人のために死んだ。」そのことに救いを見い出すのがキリスト教です。そのお方が私たちの信じるイエス様です。今日クリスマスの喜びをご一緒に味わいたいと思います。


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