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主の道を備える

2023年12月10日 待降節第ニ主日

マルコによる福音書1章1~8節


福音書  マルコ 1: 1~ 8 (新61)

1神の子イエス・キリストの福音の初め。

2預言者イザヤの書にこう書いてある。

「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、

あなたの道を準備させよう。

3荒れ野で叫ぶ者の声がする。

『主の道を整え、

その道筋をまっすぐにせよ。』」

そのとおり、 4洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。 5ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。 6ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。 7彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。 8わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

 

先週から教会の暦は待降節に入りました。待降節とは、降誕を待つ期節、つまりクリスマスに向けて、イエス様がこの世に生まれて来てくださることを信じて待つ日々のことです。待降節の間、聖書朗読にイエスご自身は登場しません。それまでは何週間にもわたってイエス様が生まれるということの「予告」が語られるのみです。私たちはこうやって昔のイスラエルの人々がどんなに救い主を待ち望んでいたかを追体験していくのです。


かつて出エジプトを経験したイスラエルの人々は、いつか自分たちのために救い主(救世主、メシア、キリスト)が現れるということを信じていました。古代の生活というのは厳しいものですから、神様が自分たちをエジプトから導き出して約束の地に入らせてくださったあの時のように、神様が再び直接的な形で人間の歴史に介入されて、自分たちをあらゆる苦しみから救ってくださるという風に考えて、それを待ち望んでいたわけです。


そしてイエスこそがその救い主(キリスト)であると信じるのがキリスト教であるわけですが、このようにキリスト教の信仰というのは、それまでのイスラエル及びユダヤ教の歩みと深いかかわりを持っています。天地創造、出エジプト、預言者の登場、これらの歴史の上に、人々が待ち望んでいた「あの救い主」が生まれるというクリスマスのイベントが存在しているわけです。(ですからページェントの台本も天地創造から始まるものがあります。カトリック教会で用いられることが多いです。)


そのような背景を持っているクリスマスですから、教会では通常、イエス様のお生まれを祝うに先駆けて、前述のような「人々がどんなにキリストを待ち望んでいたか」を追体験するような時を待ちます。クリスマスがおめでたいのは、生まれてきたイエス様が成長の結果たまたま有名になったからではありません。そうではなくて、人々が何千年もの間待望していた救い主が、神様のお約束通り、私たちのためにこの世に来てくださったからです。あのクリスマスの夜、神の介入によって、人類の救済史上の転換点が訪れたとキリスト教では考えているからです。


ですから私たちは救い主のお生まれをわざわざ「待つ」必要があります。クリスマスに至るまでの人類の長い歴史を思い、イエス様がこの世に来てくださったことのありがたさを知るためです。そして今私たちはちょうどそのような期間を過ごしています。教会を飾りつけ、聖書を読み、お祈りをして、私たちの心を少しずつイエス様のお生まれに向けていくための期間です。救い主の誕生というのは、私たち人間にとって「すぐに」「簡単に」「何の準備もなしに」与えられたものではないからです。


教会では、今日と来週はイエス様の誕生物語に先駆けて洗礼者ヨハネのお話を聞いてまいります。神様は、イエス様がお生まれになる前に、洗礼者ヨハネと呼ばれる人物を用いて、人々に救い主がお生まれになることをお告げになりました。ヨハネは紀元前30年頃にヨルダン川に現れた宗教的指導者で、人々に救い主の到来を知らせ、悔い改めを呼びかけた人物です。


人々は初め、洗礼者ヨハネのことを救い主だと思いました。洗礼者ヨハネはすばらしい教えをして、多くの人々に自分の罪を自覚させ、人々が新たな気持ちで信仰生活を送れるように導いていたからです。しかし洗礼者ヨハネはそんな人々に対してこう告げています。「わたしよりも優れた方が、後から来られる」と。その方こそがイエス様です。私よりもすばらしい教えをされる方、人の心を見抜き、あなたの罪をすべて知っておられるお方、あなたを再び神様と出会わせて、あなたの人生を変える方。そんな方がまもなく来るとヨハネは人々に告げています。洗礼者ヨハネも十分優れた人ですが、そんなヨハネよりももっと優れた方が来られると予告されて、当時の人々は期待と喜びに満ちあふれたことでしょう。


「ついに救い主が来られる」という当時の人々の期待と喜びを、私たちも今この時期に感じたいと思います。イスラエルの人々が救い主の到来を待ち望んだ日々を、聖書を通して追体験することで、私たちはイエス様が来られたことの喜びをより深く味わうことができるのです。人類は救い主が来てくださることを忍耐して待ち続けてきました。神様は信じて待つこと、希望を持って忍耐することに、計り知れない意味を与えてくださっています。


今日は主に待降節についてお話しましたので、来週は洗礼者ヨハネのお話をより詳しく見ていきたいと思います。イエス様のお生まれを待つこの期節を、祈りをもって過ごしてまいりましょう。

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