2023年5月28日 聖霊降臨
ヨハネによる福音書7章37~39節
福音書 ヨハネ 7:37~39(新179)
37祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。 38わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」 39イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。
ペンテコステおめでとうございます。今日はイエス様によって約束された聖霊が弟子たちに降ったことを記念するペンテコステ(聖霊降臨祭)の礼拝です。イエス様が天に昇られた後、イエス様に代って私たちを導くために聖霊が来られたことと、それをきっかけに伝道が開始され、教会が形成されたことをお祝いする日にあたります。
今年もまた小倉教会では中高生のみなさんが書道、お祈り、奏楽、聖書朗読などの奉仕をしてくれました。ペンテコステは先ほど申し上げたように教会の誕生を記念する日でもありますから、大人も子どもも共に礼拝し、共に奉仕するという今日の礼拝は、ペンテコステのお祝いにふさわしいものになっているのではと思います。
今日の福音書の日課は、イエス様が「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」と言われたという場面です。この時イエス様は仮庵祭というユダヤ教のお祭りのためにエルサレムに来られていて、そこに集まった大勢の人に向けて「わたしから飲む人は、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」と宣言されたのでした。
この箇所がペンテコステに読まれるために選ばれているのは、この「水」こが聖霊を指していると福音書記者が指摘しているからです。イエス様がおっしゃっているのは比喩です。実際にイエス様の体から水が出ていたり、それを飲んで私たちの体から水が出てくるようなことはありません。そうではなくて、イエス様がその存在を予告され、やがて信仰者を満たすことになる目に見えない聖霊が水という言葉でたとえられているのです。
水は私たちの体の内側の大部分を構成するものであるとともに、私たちの外側に様々な形で存在するものです。聖霊もこれと似ています。二週間前の福音書の日課で、イエス様は聖霊を送る約束をされ、そこで「この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。」と言われています。聖霊は私たちの内に宿り、私たちの内に働かれる神様です。私たちの体内が意識していなくても水で満たされているように、私たちは意識していなくても聖霊に満たされています。
そして同時に聖霊は私たちの外にあって、外から私たちを助けてくれる存在です。イエス様は「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」「この方は、真理の霊である。」と言われています。「弁護者」と訳されている「パラクレートス」というギリシア語は「助け主」「後見人」という意味を含んでいる言葉です。雨が大地を潤すように、また飲み水が私たちの渇きを癒すように、聖霊なる神は私たちの外側からも私たちに働きかけて、私たちの助け主となり、様々な形で私たちに恵みを与えてくださっています。
このように、聖霊なる神は、私たちの内にあって私たちの思いと行いを司っておられる神であり、同時に私たちの外にあって、様々な形で私たちを守り助けてくださる神です。聖霊は水のように私たちを満たし、水のように私たちに恵みを与えておられます。そしてその水は、父なる神様とイエス様から流れ出るもの、つまり聖霊は父なる神様の力とイエス様の約束によって私たちに贈られるものです。
キリスト教の教会は、聖霊を尊び、教会成立以来この聖霊降臨日を祝い続けてきました。それは聖霊なる神が絶えず私たちを導き、守っておられるからです。私たちが礼拝する時、宣教する時、祈る時、どんな時にも聖霊は働いておられます。イエス様が地上での活動を終えられて天に昇られても、キリスト教の歴史は終わりません。イエス様が地上を離れられても、イエス様に代って降られた聖霊なる神が教会と共におられるからです。今日も私たちは聖霊に導かれて、変わらぬ神をほめたたえ、教会の歴史を刻んでいます。
今日はペンテコステの礼拝です。水のように私たちの近くにおられ、水のように不可欠で、水のように様々な姿で私たちを生かしてくださる聖霊なる神を、共にほめたたえたいと思います。中高生のみなさん、ご奉仕ありがとうございました。
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