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天に上げられたイエス

2021年5月16日 主の昇天

ルカによる福音書24章44~53節


福音書  ルカ 24:44~53

24:44イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」 45そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、 46言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。 47また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、 48あなたがたはこれらのことの証人となる。 49わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」

50イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。 51そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。 52彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、 53絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。


今日は主の昇天の主日です。主の昇天(昇天日)は復活のイエス様が天に上げられたことをおぼえる日にあたります。イエス様が地上での活動を終えられるとともに、天にあげられ、父のもとに帰られたことが記念されます。また、私たちに先駆けて天に昇られたイエス様に倣って、私たちもいずれ天の御国に入れられるということが想起される日でもあります。イエス・キリストが復活の40日後に昇天したという聖書の記述から、昇天日は伝統的に、復活日から数えて40日後の木曜日に祝われてきました。しかしながら、週日に礼拝するのが難しい場合には、このように日曜日を昇天日として礼拝します。


聖書の中でイエス様の昇天のエピソードが記されているのはルカ福音書、使徒言行録、マルコ福音書の三つです。マタイ福音書とヨハネ福音書には昇天の記述がありません。ルカ福音書と使徒言行録では、イエス様は弟子たちに聖霊を約束された後、天に昇られます。マルコ福音書では、イエス様は弟子たちに宣教を命じられ、「信じる者は蛇をつかんでも毒を飲んでも死なず、病人に手を置けば治る」と話された後、天に上げられます。いずれのバージョンにおいてもイエスは弟子たちと最後の言葉を交わされた後、弟子たちの見ている前で天に上げられたとされています。イエス様は弟子たちに約束を残され、弟子たちに見送られて天へと昇って行かれるのです。


今日の聖書では、イエス様が弟子たちに「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」と言い残されます。父が約束されたもの、高い所からの力(口語訳では「上から授けられた力」)とは、すなわち聖霊です。イエス様はご自分が地上を離れるにあたって聖霊を送ることを約束されました。イエス様が肉体をもっていつも一緒にいなくても、聖霊が働いてくださることで、弟子たちは神様の力に包まれていることができます。


裏を返せば、弟子たちは聖霊が来てくださるまでは宣教の仕事を始めることができません。神様の力をいただくことなしには、弟子たちは何もできないからです。それは、私たちが復活節に読んできた聖書の箇所で繰り返し言われてきたことです。(「わたしはよい羊飼い」「わたしはまことのぶどうの木」のお話などがそうでしたね。)ですから聖霊が降るまでの間、弟子たちは都にとどまっているように指示されます。弟子たちは自らの力で何かをする必要はなくて、神様が助けてくださるまでは待機でいいようです。


これらのことを言われると、イエス様はベタニアへ行き、弟子たちを祝福されます。ベタニアはエルサレムから15スタディオン(約2.8㎞)ほど離れたオリーブ山のふもとの村でした。イエスはここで重い皮膚病の人シモンを訪ねたとありますし、またベタニアはラザロ、マルタ、マリアのきょうだいの出身地でした。孤独な人を訪ね、病を癒されたこの場所から、イエス様は天に昇って行かれます。イエス様は手を上げて弟子たちを祝福され、祝福しながら弟子たちのもとを離れ、天に昇って行かれました。


イエス様が天に上げられたことはイエス様の地上における活動が終了したことを意味します。イエス様は地上を離れ、はじめからご自身のために備えられていた場所、つまり神様のみそばへと行かれました。ルカ22章69節にはイエス様が「しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る。」と言われたとあります。「神の右」とは「神様から一番近いところ」という意味です。そのお言葉通りイエス様は天に昇って行かれ、神様から一番近いところで、弟子たちとそして私たちを永遠に見守ってくださっています。


イエス様を見送った弟子たちはイエス様をおがみ、大喜びでエルサレムに帰ります。イエス様とのお別れの直後でありながら、彼らはちっとも悲しそうではありません。それは復活後のイエス様が弟子たちの信仰を強めてくださったからです。復活節に読まれた聖書の箇所には、疑う弟子たちをイエス様が様々な形で信じさせてくださるというお話が多くありました。(傷跡に指を入れてみなさいと言われたり、焼き魚を食べられたり。)イエス様によって信じる力を与えられ、心の目を開いていただいた弟子たちは、もはやイエス様のおっしゃることを疑いません。「わたしは全能の神の右に座る」というイエス様の言葉が成就したことを喜び、約束された聖霊が来てくださることを確信していたのです。もはや弟子たちとイエス様を引き離すものは何もありません。イエス様が地上を去られても、ずっと彼らを愛していてくださるということを知っているからです。私たちもまた同様です。私たちは地上のイエス様に会ったことはありませんが、聖霊によって神様の力に包まれ、イエス様の愛を知っています。離れていても、信じる力をいただいているからです。


こうしてエルサレムに帰った弟子たちはたえず神殿の境内で神をほめたたえ、イエス様に約束された聖霊を待ちました。その10日後、聖霊が降ります。復活から40日後が昇天日、その10日後(復活から50日後)がペンテコステです。次週私たちは、ペンテコステを迎えることになります。残念ながら教会に集うことはできませんが、イエス様が昇天されてもその愛と力に変わりがないように、神様の力は肉体的な距離を超えて働きます。私たちはどこにいても聖霊が降るのをお祝いすることができます。神様の一番近くに行かれたイエス様をほめたたえつつ、約束の聖霊が降るペンテコステの日を待ちたいと思います。


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