2020年8月2日 平和の主日
ヨハネによる福音書15章9~12節
9父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 10わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
11これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。 12わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
本日は平和の主日です。日本福音ルーテル教会では8月の任意の日曜日(多くは第一日曜日)を「平和の主日」として定め、平和について祈る礼拝を行っています。日本基督教団でも8月の第一主日は「平和聖日」と呼ばれていて、同じく平和を祈る日とされています。今日は私たちの教会でも(特に「戦争」に対しての)「平和」について考え、平和を覚えて祈るときにしたいと思います。私たちがより深く考え、祈るために、この後教会員の〇〇さんに、ご自身の戦争体験のお話をしていただきます。
私たちは、キリスト教を信じているからといって、あるいは教会に来ているからといって、自動的に平和が手に入るわけではないことを知っています。世界史的に見ても、キリスト教徒は絶えず戦争を繰り返してしてきました。この国においても、特にアジア・太平洋戦争の折には日本の多くのキリスト教会が国策として統合され、戦争を肯定し、戦争に協力してきた過去があります。そして、ルーテル教会もその一部でした。
戦争という大きな力を前にして、宗教はむしろ無力です。しかし神は、それでも私たちが和解を求め、最終的に平和に至ることを望んでおられます。今日の第一の日課のミカ書では争いがなくなり、平和な世の中が訪れるという預言が語られています。神の言葉は必ず実現します。どんなに困難に思えても、神様は私たちに平和を約束してくださっているのです。この約束を信じて、私たちは今日もこうして平和を祈ります。
そして今日の福音書の日課では、イエス様が私たちに「互いに愛し合いなさい」ということを教えておられます。イエス様が私たちを愛してくださったように、私たちも互いに愛し合うことが、私たちに与えられた大切な使命です。互いを尊重して、大切にする。簡単なようで難しいことですが、そうすることでしか、私たちは平和に至ることができません。
聖書に平和が約束されていても、今日もどこかで戦争は起こっています。愛し合いなさいという掟はこの厳しい世の中でいかにも軟弱に聞こえます。平和を祈ることに何の意味があるんだと言いたくなることもあるでしょう。しかしそれでも平和を求め、互いに愛し合うことが、教会とそこに集う私たちの大切な役割であると思います。どんな時代、どんな世の中にあっても、神の約束を信じること、互いに愛し合うことが、変わらない神の掟であり、すべての信仰者が招かれている生き方であるからです。私たちもその一部として、今日ともに平和を望み、祈りをあわせてまいりましょう。
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