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キリストの平和

2021年8月15日 平和主日

ヨハネによる福音書15章9~12節


福音書  ヨハネ15: 9~12 (新198)

15: 9父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 10わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。

11これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。 12わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。


今日は平和の主日です。日本福音ルーテル教会では8月の任意の日曜日を「平和主日」として定め、平和を祈る礼拝を行っています。昨年の平和主日には〇〇さんと〇〇さんにご自身の戦争体験について語っていただきました。今年は終戦の日である8月15日を平和主日として、九州教区社会奉仕部が作成した「平和の祈り」を用いて礼拝したいと思います。


今日の第一の日課、ミカ書4章3節には「主は多くの民の争いを裁き/はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。/彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。/国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。」と書かれています。争いがなくなり、平和な世の中が訪れるという預言です。神様は私たちに平和に過ごすことを望んでおられます。そしてそれは可能なことです。神様の言葉は必ず実現するからです。


でもどうやって、と私たちは思います。実際に、人類はたくさんの戦争を経験してきました。争いのない平和な世の中を作り上げることの難しさを私たちは知っています。そんな私たちに神様は平和に至る唯一の道を示されました。神様は、平和はある、と言われます。そして私たちが平和に至るにはどうすればよいかということを、聖書を通して教えてくださっています。


その方法とは、イエス様を通して、私たちがお互いに愛し合うことです。人間は、人間同士だけでは、愛を全うすることができません。私たちがお互いに不完全だからです。私がケチであるのと同様に相手もケチで、相手が自分勝手であるのと同様に私も自分勝手だからです。イエス様が私たちの間に立って下さり、私たちがイエス様を通して、イエス様がしてくださったように相手に関わることができなければ、平和は訪れないのです。


今日の福音書の日課ではイエス様が弟子たちに「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と教えておられます。イエス様が私たちに向けてくださった愛は、完全な愛、与え尽くす愛でした。この地上、人の世の中においてイエス様だけが欠けるところのない愛を体現されています。イエス様は私たちのために十字架にさえおかかりになり、何の報いも受けることなしに、私たちにすべてを与えてくださいました。


そんなイエス様を思う時、私たちの心には平和が生まれます。自分に向けられている完全な愛を知った時、私たちの心は新しくなるのです。今日の第二の日課であるエフェソ2章には「こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」と書かれています。私たちがイエス様の愛を知る者として、新しい人として生きる時、私たちは平和に向かって歩き出しています。


ですからイエス様に愛された者として、イエス様に従って生きることが、私たちが平和に向かう道筋です。しかしこの唯一の道をたどることですら、私たちにはままならないのです。イエス様がされたように…と私は簡単に言ってしまいますが、そもそも私たちはイエス様ではありませんので、私たちがイエス様と同じようにするというのは、本当はとても難しいことです。敵を愛するとか、人のために死ぬとか、そういうことは人間の限界を超えています。だからこそ、それが一度でもできた人は一般の信仰者と区別されて聖人と呼ばれたりするわけです。


過去を振り返ってもキリスト教徒は戦争を繰り返してしてきましたし、私たちだって周りの環境が変わっていけば、そういうことに巻き込まれていく可能性は大いにあると感じます。現実を見れば、イエス様を信じているからといって、自動的に平和が手に入るわけではないことはよくわかります。私たちはまだ、平和に至る道の途中を歩いているのです。


しかし私たちは行先もわからず地図もないまま歩いているのではありません。神様は私たちに平和を約束し、平和に至る道を示してくださいました。私たちは少なくとも、最後には平和にたどり着けるということ、イエス様がその道案内をしてくださるということを知っています。それは険しい道ですが、わけもわからず歩き続けるよりはずっと歩きやすい道のりです。


神様が私たちに平和を約束してくださっているということ、私たちの間にイエス様がいてくださるということが、私たちの希望です。そして私たちが不完全であるということを神様もご存知です。それでもなお、私の約束にとどまっていなさい、イエス様の愛に励まされて平和に生きなさい、と神様は語りかけておられます。平和な未来に向けて、イエス様に支えられながら、歩んでまいりましょう。

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