2021年2月7日 顕現後第5主日
マルコによる福音書1章21~28節
福音書 マルコ1:29~39 (新62)
29すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。 30シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。 31イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。 32夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。 33町中の人が、戸口に集まった。 34イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。
35朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。 36シモンとその仲間はイエスの後を追い、 37見つけると、「みんなが捜しています」と言った。 38イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」 39そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。
先週私たちは、イエス様がカファルナウムの会堂で宣教されたお話を聞きました。イエス様はそこですばらしい教えをされ、さらに汚れた霊を即座に追い出して、イエス様の評判がガリラヤ中に広まったという内容でしたね。その後、イエス様はカファルナウムの会堂を出て、弟子のシモンとアンデレの家に行かれます。
シモンとアンデレはカファルナウムの人でした。実はカファルナウムには、ここがシモンとアンデレの家であっただろうと推測されている場所があります。5世紀に建てられた教会跡がその場所で、かつてシモンとアンデレの家だった場所の上に教会が建てられたと伝えられている一画です。1968年に発掘調査が行われた結果、そこからローマ風の住宅の痕跡が見つかったとものの本には記されています。ちなみにローマ風の住宅というのは、中庭を囲むようにロの字型に部屋が連なっているつくりの家のことです。ガリラヤ地方はエルサレムとその周辺に比べて、ギリシア・ローマ文化の影響を強く受けていた地域でした。ですからイエス様の生まれたベツレヘムと、シモンとアンデレが暮らしたカファルナウムでは、家の建て方も違っていただろうと思います。
そんなシモンとアンデレの家に行くと、シモンのしゅうとめの話が出ました。しゅうとめがいたということは、シモンは結婚していたわけですが、シモンの妻がどういう人であったかについては福音書中に言及がありません。シモンの妻は突然漁師をやめてイエス様と共に旅に出てしまった夫のことを一体どう思っていたのでしょうか…。ただ第一コリントの9章5節には、パウロの「わたしたちには、他の使徒たちや主の兄弟たちやケファのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのですか。」という言葉が残っています。パウロの言う「ケファ」とはシモン・ペトロのことです。「ケファ」はヘブライ語で「岩」という意味、「ペトロ」はギリシア語で「岩」という意味であったことから、「ケファ」はシモン・ペトロの別名でした。ケファが信者である妻を連れて歩いていたということから、シモンはのちに信者となった妻を連れて伝道活動を行っていたものと推測されます。愛想をつかされたわけではなかったようです。
この日はシモンのしゅうとめが熱を出して寝ていました。この時代、おおよそどんな病気もそうですが「熱」も呪いの結果であると捉えられてきました。旧約聖書を見ると、申命記28章22節においてモーセは「(あなたが悪い行いを重ねて主を捨てるならば)主は、肺病、熱病、高熱病、悪性熱病、干ばつ、黒穂病、赤さび病をもってあなたを打ち、それらはあなたを追い、あなたを滅ぼすであろう。」と語っています。熱をはじめとする病は、身体的な問題であると同時に、信仰的な問題であると捉えられていたのです。だから人々はイエス様に助けを求め、癒しを期待しました。病は単なる身体症状ではなく、そこに神の御心が深く関わっていると信じていたからです。
シモンのしゅうとめに対して、イエス様が手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなしました。彼女は瞬時に、完全に癒されたのです。奇跡的な癒しです。イエス様はこのように、時には言葉によって、時には触れることによって、癒しを行われました。ですから人々はイエス様に触れよう、触れていただこうとしてイエス様のもとに押しかけました。イエス様を一目見たい、その言葉を聞きたいという思いでイエス様のもとに集いました。私たちもイエス様が目の前にいたら、何か声をかけてほしいとか、握手してほしいとか、やっぱり思うのではないでしょうか。
こうしてイエス様の評判はますます広がっていきます。その日、夕方になって日が沈むと、人々は病人や悪霊に取りつかれた人を次々と連れてきました。「日が沈むと」というのはこの日が安息日であったためです。日没までは安息日が続いているので出かけることは律法で禁止されていました。日が沈んで安息日が終わると、移動が自由になった人々がイエス様のもとに押し掛けたのです。そしてイエス様は大勢の人の病気を癒し、悪霊を追い出されました。イエス様は悪霊にものを言うことをお許しにならなかったとあります。先週の箇所で明らかになった通り、イエス様は悪霊を圧倒する力をお持ちであったからです。悪霊たちは口をはさむ間もなく追い出されていきました。
このように、イエス様は教えをのべるとともに多くの人々を癒されました。イエス様が触れるだけで病は癒され、イエス様がそこにいるだけで悪霊が出て行きました。私たちは聖書の時代とはあまりにも違う時代に生きていますから、そう言われても疑ってしまったり、よくわからないと感じたりする部分も確かにあります。しかしイエス様に触れてみたい、会ってみたい、この目で見たい、声をかけていただきたい、そう願う気持ちは私たちも同じです。イエス様を慕い、イエス様を求める信仰者たちの歴史に私たちもまた連なっています。そのような私たちの思いを、きっと何かの形でイエス様が顧みてくださっていると信じて、これからも聖書を読んでまいりたいと思います。
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