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イエス様と税金

2020年10月18日 聖霊降臨後第20主日

マタイによる福音書22章15~22節


15それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。 16そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。 17ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」 18イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。 19税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、 20イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。 21彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」 22彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。


イエス様はエルサレムに入り、そこで祭司長、長老たち、ファリサイ派の人々と対峙しておられます。私たちはこれまで3週にわたってその場面を読んでまいりました。今日もその続きです。来週は宗教改革主日、その次の週は全聖徒の日となりますので、このイエス様と権力者たちとの緊迫した場面はいったん今日までで読み終えることになります。


今日の福音書のお話は、ファリサイ派の人々がひそかに相談をするところから始まります。「どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようか」というのです。そして彼らは弟子たちをヘロデ派の人々と一緒に遣わして、イエス様にある質問をさせます。遣わされた人々はこのような言葉から始めます。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています…。」ファリサイ派の人々はイエス様の言っていることは全部嘘だと思っていたわけですから、心にもないことを言っているわけです。イエス様が神殿で教えておられたことも、神殿で人々の病気を癒されたことも、とことん気に入らなかったので、本当はイエス様のことを殺してやりたいと思っていたのです。そして彼らは尋ねます。「ところで、どうお思いでしょうか。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」


この質問の背景を少しご説明いたします。まずこの時代、ユダヤ地方はローマ帝国に間接的に統治されていました。ローマ皇帝直属の総督が置かれ、その総督によって納められるという形です。ここで言われている税金は「人頭税」にあたるもので、14歳以上のすべての男性と12歳以上のすべての女性に貸されたものでした。人頭税の納入にあたって鋳造された貨幣がデナリオン銀貨です。そこにはローマ皇帝の像と、「アウグストゥスの子、神なる皇帝ティベリウス・カエサル」という銘文が刻まれていました。ローマ帝国へ税金を納めなければならない、しかも納税に用いる銀貨には「神なる皇帝」と書いてある、ということで、この銀貨を用いて税金を納めることは愛国的ユダヤ人にとって大変な屈辱であったと言われています。実際に、熱心党と呼ばれるグループの人たちは、この貨幣に触れることさえも罪であるとしていたほどです。


そのような状況下で、ファリサイ派の弟子たちと、ヘロデ派の人々はこう尋ねます。「先生、皇帝に税金を納めるのは律法に適っているでしょうか」と。ファリサイ派の弟子たちと、ヘロデ派の人々。これも興味深い組み合わせです。ファリサイ派の人々は反・納税派です。律法を厳格に守ろうとしていた愛国心の強い人たちでしたから、ローマ帝国に納税することにも、デナリオン銀貨を使うことにも、反対でした。そうは言っても、納税はしていたようですが…。そして多くの民衆は心情的にファリサイ派を支持していました。一方でヘロデ派の人々は親ローマのグループでした。ヘロデ派の人々というのはかつてローマによって立てられたヘロデ王家を支持する人たちでしたから、当然ローマ帝国への納税にも積極的でした。


普段まったく主義主張が異なる二つのグループがここで共に訪ねてきたのは、イエス様を罠にかけるためでした。イエス様が死んでくれるなら何でもするという人たちがいたのです。彼らが共に訪ねてくることで、イエス様の逃げ場はなくなります。皇帝に税金を納めることが律法に適っていると言えば、ファリサイ派の人々を敵に回すことになり、さらに民衆の失望を買い、ユダヤ民族に対する裏切り者というレッテル貼られます。しかしそれが律法に適っていないといえば、それはヘロデ派の人々を敵に回すことになり、さらに政治的反逆者として捕らえられることになります。肯定も否定もできない、難しい状況です。


しかしイエス様は彼らの悪意に気付いておられました。彼らが質問をしてきたのは、ご自分を試して、罠にかけるためであり、彼らの誉め言葉はすべて偽善であることを見抜いておられたのです。そしてイエス様は大変賢いお答えをなさいます。彼らにデナリオン銀貨を持ってこさせると「これはだれの肖像と銘か」と言われます。彼らが「皇帝のものです」と答えると「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と言われました。ファリサイ派の弟子たちとヘロデ派の人々はイエス様のこの答えを聞いて驚きます。驚きという反応は、聖書の中で、権威を認めるということと紐づいて用いられますが、この時彼らはイエス様の答えに権威を認め、自分たちの持っている以上のものを感じました。そうして彼らはイエス様を罠にかけることを諦めて、その場から去っていきます。

このイエス様の返答は「イエス様は政治と宗教の分離について語られている(納税をはじめとする社会制度と信仰は別の次元の話である)」と解釈されることもありますが、実際のところイエス様がどの程度それを意図されていたのかは、この短い記述だけではよくわからないと言わざるを得ません。しかし一つ言えるのは、イエス様は悪意を持って近づく人に、決して取り合ってはくださらないということです。イエス様はファリサイ派とヘロデ派の問いに、正面からお答えになりません。肯定も否定もなさいません。実際に銀貨を持ち、納税をしていながら、なおもその是非を議論している人々に対して、その矛盾を指摘し、悪意と罠とを巧みにすり抜けられたのです。21章の始めのところでも、イエス様は祭司長と長老たちの質問にまともに答えていません。イエス様は、ご自分を陥れるためになされた悪意のある質問には決してお答えにならないのです。


偽善や悪意は、私たちをイエス様との対話から遠ざけます。悪意を持って神に近づくとき、偽善を語る時、イエス様を思い通りに誘導しようとするとき、イエス様はあなたに答えてくださることはありません。イエス様は、人の心を見抜かれるお方であるからす。どんなに口先でイエス様をほめて、どんなに逃げ道のない質問を用意しても、それはイエス様の前では全く意味のないことです。そうではなくて、イエス様との対話に必要なのは、嘘のない心と、イエス様のおっしゃることを素直に受け入れる気持ちです。イエス様は敵の悪意をもった質問にはお答えになりませんでしたが、群衆の求めに応じて、そして弟子たちの心からの疑問に答えて、いろいろなお話をしてくださいました。悪意や偽善が取り除かれてイエス様と出会うとき、はじめてイエス様は本当のことを語ってくださるのです。そのことを改めて思い出し、これからも聖書の言葉に耳を傾けてまいりましょう。

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