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神の御心

2021年6月6日 聖霊降臨後第2主日

マルコによる福音書3章20節~35節


福音書  マルコ3:20~35 (新66)

3:20イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。 21身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。 22エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。 23そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。 24国が内輪で争えば、その国は成り立たない。 25家が内輪で争えば、その家は成り立たない。 26同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。 27また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。 28はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。 29しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」 30イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。

31イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。 32大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、 33イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、 34周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 35神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」


今日から聖霊降臨後の期節に入りました(正確には先週の三位一体主日が聖霊降臨後第1主日の扱いになるので、先週からです)。ペンテコステ後の期節である聖霊降臨後主日は、キリストが栄光のうちに再臨されるまで、教会が新たな契約のもとに長い中間時を送ることを示唆する期間です。イエス様が天に昇られてから終わりの時に再び世に来られるまでの期間を象徴しています。この期節は11月の永遠の王キリストの主日まで続き、永遠の王キリストの日にキリストの再臨が記念されると、長い聖霊降臨後の期節は閉じられることになります。


今日の福音書の日課はマルコ福音書3章です。洗礼者ヨハネから洗礼を受け、ガリラヤで伝道を始められたイエス様は、弟子たちを招き、多くの病人を癒されました。イエス様のしておられることを聞いて、おびただしい群衆がイエス様に従ったとあります。この場面でも、イエス様が家におられることを知った群衆がそこに押し寄せ、病気を癒してもらい悪霊を追い出してもらおうとしたので、イエス様と弟子たちは食事をする暇もないほどでした。


そこへやって来たのがイエス様の身内の人たちです。「あの男は気が変になっている」と聞いてイエス様を取り押さえようとやって来ます。口語訳では「気が狂ったと思ったからである」と訳されています。新共同訳で「取り押さえる」と訳されているクラテーサイというギリシア語は「捕える」「逮捕する」という意味を持つ言葉です。まるでイエス様が悪いことをしているので、それをやめさせようとしているかのようです。


エルサレムから下ってきた律法学者たちもそれに加わります。イエス様のことを「あの男はベルゼブルに取りつかれている」「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言い、身内の人たちに味方しました。「ベルゼブル」は異教の神バアル・ゼブルに由来する名で、サタンの別名と言われています。ベルゼブルは悪霊の頭であるので、イエス様はその力を使って悪霊を追い出していると彼らは考えたのです。


イエス様はそんな彼らを呼び寄せて、たとえを用いてお話しになります。マルコ福音書にはイエス様はすべてのことをたとえによって教えられたと書かれています。そしてイエス様がたとえを用いられたのは神の国の秘密を聞く人の力に応じて教えるためであったとも書かれています。ここでまずイエス様はたとえを用いて、サタンが自分から出た悪霊と戦うことはあり得ないと説明されます。それは国の内戦、家族の内輪もめと同じように、それを行う本人に何の利益ももたらさないからです。


続けてイエス様は「また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。」と言われます。サタンは悪霊を手下に引き連れていると考えられていましたから、サタンはその「悪の家」の中の「強い人」にあたります。この世が悪の家であるとすれば、イエス様はそこに押し入り、「強い人」であるサタンを縛って、捕らわれた人々を神のもとに取り戻されるお方です。このように、イエス様は私たちの救い主であって、悪霊の仲間でも、またベルゼブル(サタン)に取りつかれているのでもありません。


そこまでお話しになられたイエス様は、ご自分をサタン扱いする人々に対して、強い言葉で警告されます。「人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」と言われるのです。ここで言われている「人の子」というのは人間全般のことで、神様は恵み深いお方であるので、人間の犯す罪は基本的にはすべて赦していただけるということが明らかになります。しかし神である聖霊を冒涜するという罪は非常に重いとイエス様は教えられます。イエス様の働きは聖霊による働きであったのにも関わらず、人々と律法学者たちはそれをサタンの力、汚れた霊の仕業であると断言しました。そのような冒涜は赦されるものではなく、重大な過ちであるとイエス様は指摘されるのです。


このような教えは伝統的なものであり、イエス様が新しく言い出したことではありません。民数記15章には、モーセが罪を犯した際の贖罪の献げ物について人々に説明する場面が描かれています。そこでモーセが告げるのは、たいていの罪は規定の献げ物をすれば赦されるが、「主を冒涜する者」「主の言葉を侮った者」が贖罪を行うのは不可能で、その者は民の中から絶たれる(死ななければならない)ということです。イエス様は律法学者たちをその場で罪に定められたわけではありませんが、しかし彼らが自分の犯している重大な過ちに気づくようにと、これらのことを告げられました。


そこへイエスの母と兄弟たちがやって来ます。マルコ福音書には「イエスの父」は登場しません。6章でイエス様は「マリアの息子」と呼ばれています。同じく6章の記述によれば、イエス様にはヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンという名前の兄弟と、名前はわかりませんが複数の姉妹がいたようです。家族はイエス様のいる家にやって来ましたが、中に入ろうとはせず、外に立っています。イエス様は家の中に座って大勢の人に教えられていましたが、入ってその話を聞く気はないようです。ただ外から人をやってイエス様を呼ばせました。


その様子を知ったイエス様は「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」と語られます。イエス様の身内の人たちは「あの男は気が変になっている」と聞いてイエス様を取り押さえようとしました。律法学者たちは「あの男はサタンの仲間である」と言ってイエス様を冒涜しました。イエス様の母、兄弟姉妹たちは、家の中に入ってイエス様の話を聞こうとはせず、外に立っているままでした。冒涜と孤立を経験されたイエス様は、ご自分の話を聞こうと座っていた人々に対して「あなたがたがわたしの家族だ」と言われるのです。


私たちがイエス様の言葉を求める時、そして私たちが自分の望むことではなく神の望むことを行い、神の意志が自分の人生のうちに成就されることを願う時、私たちはイエスの家族にしていただくことができます。もちろん血縁による家族関係も大事ですが、イエス様のなさったことを見、イエス様の言葉を聞くことによって生じた神様との関係は、血縁によるつながりにまさるとも劣らない尊い絆です。イエス様の話に耳を傾ける時、私たちはイエス様の兄弟、姉妹、母と呼んでいただくことができます。これから続く聖霊降臨後の期節も、イエス様の言葉を聞きつつ、神の家族としてご一緒に歩んでまいりたいと思います。

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