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主の洗礼

2023年1月8日 主の洗礼

マタイによる福音書3章13~17節


福音書  マタイ    3:13~17 (新4)

13そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。 14ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」 15しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。 16イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。 17そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。


この前クリスマスにイエス様のお生まれをご一緒にお祝いしてから、先週の礼拝はお休みをいただきまして、今日は主の洗礼の主日です。私がコロナで休んでいる間に、赤ちゃんだったイエス様は大人になってしまいました。教会手帳や聖書日課をご覧くださっている方はご存じかと思いますが、主の降誕のあと主の命名、顕現日などがありまして、今日の主の洗礼の主日に至ります。また聖書を読んでおいていただけたら幸いです。


今日の聖書の物語は、洗礼者ヨハネがヨルダン川で人々に洗礼を授けているところから始まります。彼は世の中に救い主イエス様の到来を告げ、ヨルダン川で悔い改めの洗礼を授けていたのでした。そこにイエス様がやってきます。イエス様はガリラヤから出てきて、ヨハネから洗礼を受けるためにヨルダン川へ来られたとあります。神の子・救い主が自らヨハネのところにやってきて、一般人に交じって悔い改めの洗礼を受けようというのです。


驚いたのはヨハネの方です。ヨハネはイエス様に洗礼を思いとどまらせようとします。ヨハネは3章11節でイエス様について「わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」と説明しています。ヨハネの言っている通り、イエス様はヨハネよりも優れた方であり、ヨハネの洗礼をご自分の名による洗礼に置き換えていかれるお方です。また、ヨハネの授けている洗礼は「悔い改めに導くための洗礼」でしたが、イエス様はそもそも罪なきお方、悔い改めの必要のない方でありました。ヨハネが洗礼を受けようとするイエス様を押しとどめたのも無理はないことです。


それに対してイエス様は「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」とお答えになります。イエス様はご自分が洗礼を受けたいと言われるその具体的な理由をお答えになりません。しかしそれは「正しいこと」「我々にふさわしいこと」であるということのみが明かされます。そして同時に、イエス様がヨハネの洗礼をお受けになるのは「イエス様も悔い改めが必要だから」「ヨハネの弟子になりたいから」ではないということも明らかになります。(そらそうやろという感じですが、イエス様と洗礼者ヨハネの間の優劣があいまいだった原始教会時代の読者たちに対してこの点を明らかにしておくのは大切なことでした。)


そうして洗礼者ヨハネはイエス様に従い、結局はイエス様の言われるとおりに洗礼を授けます。誕生物語におけるマリアやヨセフのように、ヨハネもまた「み旨に従う」「神のなさっておられることを妨げない」ということを選択したのです。すると不思議なことが起こります。イエス様が洗礼をお受けになると、天が開き、神の霊が現れ、それが鳩のようにイエス様の上に降ったというのです。さらに天から声がして「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と語るのが聞こえます。イエス様が洗礼をお受けになったことをうけて、父なる神様がこのようなしるしを地上に与えてくださったのです。


このことからわかるのは、イエス様の洗礼がイエス様だけのご意思によるのではなく、父なる神様のご意思でもあったということです。父なる神様はイエス様を洗礼に導かれ、洗礼と同時にイエス様が神の子であることを宣言し、その宣言をもってイエス様を公生涯(公の伝道と牧会)に送り出されました。神様がどうしてヨハネの洗礼をそのスタートラインに用いようと思われたのかは結局よくわからないのですが、とにかくヨルダン川での洗礼という特定の手段を用いてイエス様を神の子として公の働きに送り出されたのです。


思えば十字架も似たようなところがあって、なんで十字架という手段が用いられたのか(例えば石打ちじゃダメだったのか)とか考えだすとだんだんわけが分からなくなってきます。洗礼にせよ十字架にせよ、神様は御心のままにご自分にふさわしい手段を選ばれます。人間から見れば謎でしかなくても、神様にとってみればそれはいつも「正しいこと」「ふさわしいこと」「私たちのためにやってくださっていること」なのです。聖書の中には神様にしかわからないことがたくさんあります。私たちにできることは、洗礼者ヨハネがしたようにただ神様のなさることを受け入れて、神様の御心が滞りなくこの地上で行われるようにすることだけです。それはイエス様の降誕物語から聖書が一貫して人々に勧めている態度です。


今日は主の洗礼の主日です。イエス様はこの日ヨルダン川で洗礼を受けられました。イエス様の洗礼に関しては謎の残る部分も多いですが、イエス様が父なる神様の御心のために、そして私たちのために、洗礼を受けられたということは確かです。父なる神様が呼びかける「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声を共に聞き、これから始まるイエス様の公生涯に耳を澄ませていきたいと思います。今年もご一緒にみことばを聞いてまいりましょう。

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