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主の変容

2023年2月19日 主の変容 マタイによる福音書17章1~9節 福音書  マタイ 17: 1~ 9 (新32) 1六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。 2イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。 3見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。 4ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」 5ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。 6弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。 7イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」 8彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。 9一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。 6週にわたる顕現節の日々が終わって、今日は主の変容の主日、そして水曜日からは四旬節に入ります。これまで私たちはイエス様の伝道のはじまりと、イエス様が山上の説教で教えられたことについて聞いてきました。そこではイエス様が優れた教師であることが明らかにされていたと思います。今日は主の変容の物語を通してイエス様がどういうお方であるのかということをより深く聞いていきたいと思います。 少し前回の箇所からは話が飛びますが、16章でイエス様はフィリポ・カイサリア地方に行かれ、そこでペトロはイエス様に対して「あなたはメシア、生ける神の子です」(16:16)と自らの信仰を言い表します。それを受けてイエス様はご自分の死と復活を予告されました。今日の物語は「六日の後」という言葉で始まりますが、これはペトロの信仰告白とイエス様の受難予告から六日後、という意味です。 六日の後、イエス様は限られた弟子だけを連れて高い山に登られます。この時イエス様が登られた山がどこかということについては諸説ありますが、フィリポ・カイサリアに近いヘルモン山であったという説、ほかにカルメル山やタボル山であったという説が有力です。(聖書地図6を見ると地中海沿岸にカルメル山、ガリラヤ湖の南西にタボル山が見つかります。ヘルモン山はガリラヤ湖の北「フィリポ・カイサリア」の文字があるあたりです。) イエス様が山に登られると「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。」と聖書は語っています。イエス様の顔が太陽のように輝くという記述は黙示録1章16節にも見られます。そこには「右の手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。」とあります。ここだけ読むと主語がありませんが、この黙示録の記述は復活後の栄光に輝くイエス様を描写したものです。山の上で、イエス様は一時的に復活後のような姿に変えられ、その様子を弟子たちが見ていたということになります。 そこにモーセとエリヤが現れます。モーセとエリヤはそれぞれ預言者(エリヤ)と律法(モーセ)の象徴で、数ある旧約聖書の登場人物の中でも、もっとも偉大であるとされていた人たちでした。マタイ福音書の著者はイエス様が彼らと語り合っていたその内容についてははっきりと記していませんが、ルカ福音書ではそれが「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について」の話であったと説明されています。 この光景を目にしたペトロが「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」と口をはさみます。ペトロがイエス様に対して「お望みでしたらそうしましょう」と言っているのは正しい態度です。自分の提案よりもイエス様の御心を優先しようと弟子のリーダーであるペトロは思っていたのでした。 不思議な出来事はこれで終わりません。さらに雲が現れ、彼らを覆います。雲は神の臨在(神がそこにおられること)を象徴する自然現象です。出エジプトの時、雲はイスラエルの民を導き(出エジプト13:21~22)、シナイ山に主がとどまっていることのしるしとなり(出エジプト24:15~16)、幕屋に主がおられることのしるしとなりました(出エジプト40:34~38)。また列王記上8章には主は雲と共にソロモンの神殿に留まられたとありますし、さらに詩編68編において神は「雲を駆って進む方」であると表現されています。雲があるところには神様がおられるのです。 そんな雲の中から「これはわたしの愛する子。これに聞け。」という声が聞こえます。父なる神様は「私に聞け」ではなくて「イエス様に聞け」と言っておられるのです。これまで信仰者たちはモーセとエリヤといった預言者を通して父なる神様の声を聞いてきました。しかし父なる神様はついにこの地上にイエス様を送られました。これにより、信仰者たちはイエス様を通して直接に神の声を聞くことができるようになったのです。イエス様は神の子であって、イエス様の言葉はすなわち神の言葉なのであるから、イエス様の言葉に聞き従いなさいということが言われています。 弟子たちはこの声を聞いてひれ伏し、恐れます。神のような聖なる偉大な存在に触れると恐怖を感じるというのは本来人間に備わっている感覚なのかもしれません。神に接触した時に恐れを感じたという記述は聖書の中に繰り返し見られます。また、人は神様を見たり神様に近づいたりすると死んでしまうとも言われていました。イエス様はそんな弟子たちに近づき、彼らに手を触れて「起きなさい。恐れることはない。」と言われます。神様が近づかれたのは裁きや災いをもたらすためではなく、ただイエス様が神の子である、そのイエス様がこの世に来てくださっている、というよい知らせを伝えるためだったからです。 そしてイエス様は「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられます。秘密が解かれるのはイエス様が死んで復活した後のことです。この頃からイエス様はご自分が死ななければならないということを弟子たちに明言されるようになりました。イエス様は弟子たちが目にしたような栄光に輝く姿で復活されますが、そのためには一度十字架の死を通らなければなりません。そして過酷な十字架の道のりについて私たちはこれから迎える四旬節の期節を通して聞いていくことになります。 今日は主の変容の主日です。主の変容の物語は、イエス様の栄光を証しするとともに、イエス様の遂げられる十字架の死と復活を暗示しています。2月22日からは四旬節です。栄光に満ちたイエス様が十字架で死なれて、再び栄光のうちに復活されるまでの物語を、来週もご一緒に聞いてまいりましょう。


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