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  • Writer's picturejelckokura

Updated: Oct 18, 2020


ルカによる福音書21章5-19節

21:5 ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。 21:6 「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」 21:7 そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」 21:8 イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。 21:9 戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」 21:10 そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。 21:11 そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。 21:12 しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。 21:13 それはあなたがたにとって証しをする機会となる。 21:14 だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。 21:15 どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。 21:16 あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。 21:17 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。 21:18 しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。 21:19 忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

「私たちの父なる神と主イエス・キリスト(「救い主」という意味の称号)から、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン」

聖書には、世の終わりを意味する「終末」について記されています。かの日、最期の審判、神の国の到来、キリストの再来など様々な表現があることから、信仰者が終末に期待していることが聖書から知らされます。

『旧約聖書』で言えば、来るべきその時とは、救い主が民の元に来られることを意味するのでしょう。それゆえ、ユダヤ教徒は現在でも救い主の訪れを待ち望んでいます。同時にユダヤ教では、「メシア(救い主)」の到来によって悪しき時代が終わり、失われた祖先であるイスラエルの民が再び集まり、神とメシアに統治された新イスラエル王国を得る。そして、ソロモンの第三神殿を再建する終末を思い描いているそうです。

イエスの死後、イエスを「キリスト(救い主)」と信じる者たちは迫害されました。聖書が『旧約』と『新約』と呼び分けられているように、キリスト教徒は、キリストの語られた言葉を「新しい約束」として受け取り、それまでの聖書の内容を「更新されるべき古い約束」としました。それは聖書を冒涜する新興宗教団体として映ったのでしょう。だからこそ、日増しにその弾圧は強まっていったのです。

『新約聖書』における「終末」とは、復活し天に昇られたキリストが、再び来られる時でしょう。救い主の再来と審きです。

もう一つ、新しい世界の創造があります。『新約聖書』の一番最後にある『ヨハネの黙示録』は、迫害の最中に書かれたため、キリスト教徒のみが福音として受け取ることのできる暗号のような文章で物語られています。この書物には、終末後に新しく創造された世界、その都について思い描かれています。

「川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである」(黙22:2-5)。

創世記の初めに語られるエデンの園の中央には、命の木と善悪の木が植えられていたと書かれています。もし、命の木から実を食べたならば、神に並ぶ存在となっていたかもしれません。それを恐れた神によって、善悪の木から実を食べたアダムとイヴは、神に背いた罪ある者として園から追放されたのだというのです。

新たな世界では、人々は常に神の輝きに照らされ、病も呪いもなく、その守りの内に生きることになる。それだけではなく、命の木が都の中央に並んでおり、年に12回も実を結ぶのだというのです。大盤振る舞いです。

神を信じつつも貧しさや病によって命を落とす、迫害によって苦しめられている。終末は、この世を苦しみつつキリスト教徒の希望として語り継がれてきたのでしょう。

現代を生きる私たちの周りにも、終末に対する発言があります。

ひと昔に比べ、現在の私たちは多くの災害に関するニュースを目にしています。奇しくも、大災害を通して私たちは思い通りにならない自らの命に気づかされます。その中で、神や信仰に関心を持たれる方も増えたことでしょう。同時に、終末が近いと触れ回る人々が、以前よりも増している印象を持ちます。

また、国同士の関係が悪化する中で、戦争やミサイルの発射など、核戦争が起こるのではないかという不安があります。その中で、「世界終末時計」という物が作られ、残り2分を指しているそうです。

本日の聖書の箇所には、「終末の時がいつ訪れるのか」との問いへと答えられたイエスの言葉が記されています。

「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである」(ルカ21:8.9)。

戦争、暴動、大災害が起こる。その中で「私はイエスの生まれ変わりだ、私が神だ」と語る者、「終末が近い」と言う者が現れる。しかし、「世の終わりはすぐには来ない」とイエスは語られます。

生きることが苦しく、救いが一切見いだせない時、その中で自分や大切な人が命の終わりを迎えるならば、終末の約束は励ましとなるでしょう。「与えられた命は決して無駄にはならない、痛みや死の先には必ず救いが待ち受けている」という、希望の宣言だからです。

しかし聖書には、この命が尽きた後、終末にのみ救いがあるとは書かれていません。繰り返し「主は生きておられる。」と語られているのです。私たちの神は、今、私たちと共に生きておられるのです。

大災害が起こる時、「それは神の審きだから、すぐ悔い改めるべきだ」と語る者が出てきます。明らかに間違いです。活動を続ける地球では、これまでにも繰り返し起こってきたことです。その時、キリストはどこにおられるのか。苦しむ者と共におられるに違いないのです。

世の終わりについて、私たちは知ることはできません。しかし、キリストの言葉は、すでに語られています。生と死、貧富、性別、国境、人と人、心の内と外、壁という壁を壊されたイエスの歩みを知らされます。争いが世界を滅びに向かわせるならば、私たちはそうならないように、キリストの言葉に押し出されます。災害があれば支援し、祈り、キリストの想いを実現します。私たちは、終末を迎えても変わることの無い、神と共に生きる命を、すでに生きているのです。

「望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン」

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