「私たちの父なる神と主イエス・キリスト(「救い主」という意味の称号)から、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン」
みなさんは、お花や野菜を育てたことはありますか?幼稚園や小学校で、朝顔やチューリップを育てているところを見たことがあります。
一人ひとりの植木鉢に、まず土を入れ、そこに種をまきます。そこからは、毎日根気強く水をあげます。やがて、土から小さな芽が出て、少しずつ成長していくのです。
暑い夏の日に、水を上げ忘れると、すぐに葉っぱはしぼんで元気がなくなります。でも、水をあげると元気を取り戻し、またグングン茎と葉っぱを伸ばし、育っていきます。乾いた土に水がしみこみ、葉っぱの上に光る水の粒はとてもキレイです。
こうして、おひさまの光と、土の中の栄養と、水をたくさん吸い込んで、やがて先っぽにつぼみを作り、花が咲きます。毎日お世話をしてきたので、小さく開くお花がとてもかわいく思えます。
種をポイっと机に置いておいても、芽は出ません。水だけあげていても、土と光がなければ育ちません。一つの種が芽を出し、成長し、花を咲かせるためには、土、光、水がなければいけないのです。
私たちも同じです。ご飯を食べ、たくさん運動して、よく寝てスクスク育っていきます。でも、料理は難しくて一人では作れないし、一人ぼっちで暮らすことはできません。お母さんやお父さん、おばあちゃんやおじいちゃん、家族に助けてもらいながら、グングン育っていくのです。
それだけでは、まだ足りません。私たちは他の人たちから大切にされなければ、元気がなくなってしまうのです。家族だけではなく、友だちや先生など、たくさんの人たちから大切にされることで、元気をもらいます。
お花には、ヒマワリやバラ、ユリやスズランなど、いろんな種類があります。形や色は違いますが、どれもとてもキレイです。お野菜や果物になる種もあります。花が枯れた後に膨らんだ実を美味しくいただきます。花が咲かず、葉っぱを茂らすだけの種もあります。色々な香りを楽しませてくれます。
私たちも同じです。勉強ができる子がいれば、足の速い子、ドッチボールがうまい子もいます。泣き虫がいれば、静かに本を読むのが好きな子もいます。誰が一番なんて決めなくていい。その一人ひとりが、大切で素晴らしいのです。
さて、お花を咲かせようと思っても、私たちは水をあげることしかできません。私たちが寝ている間に、勝手に大きくなっていきます。その間、お花の命を守っているのは神さまでしょう。
小さな一本のお花まで守っておられる神さまは、私たちにこう言っています。
「わたしの目にあなたは価高く、貴く
わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43章4節)
「価高く、貴い」とは、神さまにとって、あなたが他の誰とも比べることができないくらい大切だということです。「周りのお友だちみたいになりたい」と思って、悔しかったり、悲しい気持ちになることもあるかもしれません。でも神さまは、「今のあなたがとっても素敵で、大切だ」と言われます。そして、今日もあなたを守っておられるのです。
あなたは神さまの宝物です。そのことを覚えていてください。
大人の皆さま、今日はこども祝福式です。子どもたちの成長を祈る日であると共に、お一人おひとりが年を重ねた現在も、神にとって子どもであり、宝であることを思い起こす日でもあります。
色々なことを自分の力で出来るようになってもなお、私たちは自分の命を延ばしたり、心臓の鼓動を好き勝手操作することはできません。「わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛している。」この一瞬一瞬が神に守られており、これからも、その愛の内に生かされていく。神の言葉を、今、受け取りたいのです。
「望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン」