光(クリスマス礼拝)
- jelckokura

- Dec 23, 2018
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ヨハネによる福音書1章1-5節
1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 1:2 この言は、初めに神と共にあった。 1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン
毎年クリスマスには、ツリーやクランツなど、赤や緑、色とりどりに彩られ、とても綺麗です。
ツリーの飾りには、一つひとつ意味が込められているそうです。
たとえば、ピカピカ光る電飾。これは、ルーテル教会の名前にもなっている「マルティン・ルターさん」が、木の枝の隙間から星が輝く光景を美しく思って、枝を家に持ち帰り、ロウソクを飾ったのだそうです。それがキッカケとなり、各家庭で飾られるようになったと言われます。
丸いボールは、神さまから最初に造られた「アダムとエバ」が、神さまの言いつけを守らずに食べてしまった知識の実だそうです。ボールの代わりに、リンゴが飾られることもあります。
杖の形の飾りもあります。聖書には、イエスさまが羊飼い、私たちは羊だと書かれています。羊飼いが羊を大切にするように、イエスさまもいつも私たちと一緒におられ、守ってくださっている。このしるしとして、杖の飾りを飾るのです。
靴下を飾る家もあります。昔、聖ニコラウスという人が、クリスマスにある貧しい家へ金貨を投げ入れた時、置かれた靴下の中に偶然入ったそうです。このことから、靴下が飾られるようになったそうです。
そして、ツリーのてっぺんには星があります。イエスさまが生まれた時、空に「ひときわ輝く星」が現われたと伝えられています。「ベツレヘムの星」と呼ばれます。東の国の博士たちは、この星に導かれ、赤ちゃんイエスさまの居られる家まで辿り着くことができたのです。
クリスマスの飾りを見ていると、楽しい気持ちになります。夜になると、ツリーは一層綺麗に輝きます。
聖書には次のように書いてあります。
「そして光は闇の中に現われる」(ヨハネ1:5 田川建三訳著『新約聖書 訳と注5 ヨハネ福音書』作品社)。
クリスマスは、イエスさまのお誕生日です。ツリーの輝きが周りを照らすように、イエスさまは、この世界を、世界に生きる一人ひとりを照らす光なのだと聖書に書かれています。
家、幼稚園、学校。楽しい嬉しいことはたくさんありますが、悲しい苦しいこともあります。でもイエスさまは、暗い気持ちのあなたと一緒に居て、悲しく冷たい心を太陽の光のように照らし、温めてくださいます。いつでもあなたはイエスさまという光に見守られ、照らされ続ける。このことを覚えていてください。
中高生、大人の皆さま、先ほど紹介した聖句には、続きがあります。
「そして光は闇の中に現われる。そして闇はそれをとらえなかった」(ヨハネ1:5 田川建三訳著『新約聖書 訳と注5 ヨハネ福音書』作品社)。
機関紙『るうてる』2018年12月号の巻頭言に、岩切牧師のクリスマスの説教が掲載されています。光ではなく闇に焦点を当て、「人は光と闇の混合体(です。)」(ジャン・バニエ『コミュニティー』一麦出版)という言葉から、人の持つ闇について取り上げておられます。うまくお伝え出来ないので、是非お読みください。
人は、確かに自分の内に隠したい闇を持っています。その闇を隠すことを知らなかった昔の出来事を思い返すと苦しくなります。私が小学校5年生の頃、クラスに知的障がいを持つ子がいました。理由は忘れましたが、私はその子の二の腕をつねり上げ、言うことを聞かせたことがあります。今でも思い出すのは、とても痛いと知りつつ、他の人に見つからぬようにコッソリ、本気でつねったからです。自分から人に嫌なことをすることは決してしなかった彼を、ただ自分の思い通りに行動させるためだけに。
岩切牧師は次のように記しています。
「自分の内にある暗闇を見つけ『なんだか泣きたい気持ち』になっている私としては、この気持ちをすっきりさせて欲しいと思ったりするわけですが、聖書は、闇は光をとらえることができない(『なんだか泣きたい気持ち』はなくならない)と記します。」(機関紙『るうてる』2018年12月号巻頭言)
ツリーの飾りに、なぜボールが飾られているのか。それは、神の願いとは正反対に進み、罪を背負う人間の姿を、決して消し去れない闇を背負い続けるこの身を表わしているかのようです。
しかし、「『光は闇の中に現われる』のです。『なんだか泣きたい気持ち』を抱える<わたし>と『なんだか泣きたい気持ち』を抱える<あなた>の間に、み子イエスの光は灯るのです」(機関紙『るうてる』2018年12月号巻頭言)。
自らの内に闇を持つことを知るからこそ、私たちの間に灯されたイエス・キリストという光にこそ注目したい。決して消えることのないその輝きに照らされつつ生きる命を受け取りたいのです。
望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン


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