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順序

  • Writer: jelckokura
    jelckokura
  • Sep 9, 2018
  • 7 min read

マルコによる福音書7章24-30節

7:24 イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。 7:25 汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。 7:26 女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。 7:27 イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」 7:28 ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」 7:29 そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」 7:30 女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

先週、主イエスの弟子たちが古い掟に従わず、手を洗い清めないで食事をしていたため、ファリサイ派や律法学者たちが咎めに来た出来事について聴きました。

当時は、「聖なる神に救われるためには、清くなければならない。」と考えられていました。そのため祭司は、年に一度の聖地巡礼と献げ物を義務化し、身を清める機会を提供したのです。

ファリサイ派や律法学者たちは更に厳しく、掟を守ることで罪を犯さない清い生活を心がけるように、人々へと指導しました。その中に、「手や身体、食器や寝床などを洗い清めよ」という掟があったのです。

その一方で、ファリサイ派は厳しい掟をかいくぐる抜け道を考え出しました。それが「コルバン(神への捧げ物)」という言葉です。十戒には「父母を敬え」と記されていますが、両親の願いであろうとも自分の財産を渡したくないこともあります。その時、「これはコルバンですから、差し上げることはできません。」と、両親の求めを断ることができるとしました。しかも、後に神殿に納める必要もないのだそうです。

このように、自分の利益のために十戒の掟を蔑ろにしながらも、民衆には厳しく指導したり、掟を守れない者を「地の民」と呼んで差別したりする宗教指導者たちと対峙し、主イエスは言われたのです。

「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである」(マルコ7:15)。

必要なのは、けがれを避ける生活ではなく、自らの内からけがれが生じるのだと知ること。けがれや罪を負うその身が赦され、既に神によって引き受けられていることを知ることでありましょう。

人を裁く生き方ではなく、神に赦された者として、他者の赦しを共に喜ぶ者となるように、主イエスが願っておられることに気づかされます。真の掟とは、人を縛るためではなく、そこに映し出される神の御心を、人が受け取ることができるように用意されたものであることを覚えたいのです。私たちは、人を解き放つ主の言葉を携え、しがらみの多い社会へと出かけて行きたいのです。

「イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった」(7:24)。

「ティルス(テュロス)」の起源は紀元前2500年頃と古く、前1000年頃にはフェニキア国家の首都として最大級の都市となりました。比較的早くギリシャ文化が取り入れ、主イエスの時代に至っても貿易の拠点として栄えていたようです。

主イエスは、このガリラヤ湖の北西に位置するティルス地方に行かれましたが、人目を避けてもやはり見つかってしまうのです。

「汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。イエスは言われた。『まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない』」(7:25-27)。

これまでにも、同様に願い出た人々の求めを聴き、主イエスが汚れた霊を叱って追い出された出来事が聖書には記されています。

しかし、ギリシア人の女性がひれ伏して願ったにもかかわらず、主イエスは「子どものパンを取って、犬どもに与えはしない」と断っているのです。この言葉には、当時のユダヤ人たちの価値観が表れています。

『旧約聖書』には、繰り返し「イスラエルは特別に選ばれた神の民だ」と記されています。そして、「神が御自身の民をエジプト人の奴隷状態から解放し、強敵を退け、パレスチナ全域を住む土地として与えられた」という歴史が詳細に物語られています。つまり、「他の民族とは違うこと」がユダヤ人にとっての誇りであり、神との特別な関係の証しだったのです。

本日登場した女性はティルス地方にいたギリシア人、つまりユダヤ人にとって外国人です。「神が救われるのは選ばれた民のみ」との考えによれば、救いの枠組みに入れられていない、神の救いには与れない者ということになります。ユダヤ人として生まれ育った主イエスもまた、そのような視点からギリシア人の女性に言葉を返された様子をマルコ福音書は伝えています。

主イエスの言われる「子ども」はユダヤ人であり、「小犬」は外国人。つまり、「ユダヤ人へと十分に与えられるべきパン(神の恵み)を取って、外国人に渡すことはない」と語っておられるのです。男性中心の社会で女性と関わり、病気で隔離されている者に触れ、罪人の一員と周囲から見られようとも一緒に食事をされた主イエスの在り方とは、結びつけがたい対応です。

しかし、「まず、子供たちに~…」と語られたことに注目したいのです。

選ばれた民イスラエルの子孫として、長い年月を経てもなお、ユダヤ人は神の掟に従って生活をしてきました。そして主イエスは、基本的にユダヤ人の村を旅され、会堂で教えたり、病人を癒やされたり、神の御心を告げておられます。つまり、神についての福音(良い知らせ)は、真っ先にユダヤ人へと伝えられたということです。

では、ユダヤ人は主イエスの言葉を信じたのか。否、神の冒涜者と侮辱し、鞭打って十字架にかけて殺害することとなるのです。その後、主イエスの語られた言葉はどうなったのか。復活の主と再会した弟子たちによって、外国に住む人々へと手渡されていくこととなるのです。

主イエスの言葉は、まずユダヤ人に、ユダヤ人が拒否した後に全世界へという順序によって拡げられていったことを覚えたいのです。つまり、十字架に続く道の途中である本日のマルコ7章では、「その時が、まだ来ていなかった」と考えることができます。そのため、ギリシア人の女性に対し、「まず、子供たちに~…」と主イエスが答えられたのだと受け取りたいのです。

「ところが、女は答えて言った。『主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。』そこで、イエスは言われた。『それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。』女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた」(7:28-30)。

神の計画があり、救いに順序があるのかもしれない。しかし、ギリシア人の女性は食い下がって、「小犬も落ちたパン屑を食べる」と言ったのです。この言葉に、「食卓からこぼれ落ちるパン屑ほど僅かな恵みでも、自分の娘が救われるには十分だ」という彼女の主イエスへの信頼が映し出されます。そしてこの言葉のゆえに、彼女の娘は悪霊の苦しみから解放されることとなったと物語は結ばれています。

拷問と十字架の死が待ち受けていることを御存知でありながらも、その先に備えられた復活を人々に知らしめるために、主イエスは苦難を引き受ける覚悟を持って歩みを進められました。

しかし、主イエスは神の計画の順序から外れ、その歩みを中断することになろうとも、ギリシア人女性の信頼のゆえに願いを聴き届けられました。今ここで救いを求める者の願いを、御自身の手を止めてでも聴き届けられる方こそ、私たちの主であることを覚えたいのです。

「命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う」(詩23:6)。

復活が果たされた後の時代に、私たちは生きています。救いの順序は取り去られ、主の言葉は全世界に拡げられました。つまり、遠い日本の地に生きる私たちが、主の恵みを受けるべき者として数えられているということです。どのような計画を備えておられようとも、一切を中断し、祈る私たちを主が捕らえてくださる。苦しさ、悲しさの底に沈みそうになるその時に、その只中で主と出会うのです。

主を信頼して食い下がったギリシア人の女性のように、私たちもまた、主に希望を置き、信仰の友と共に祈り続ける者でありたいのです。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン

 
 
 

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