まことの光(降誕祭)
- jelckokura
- Dec 24, 2017
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ヨハネによる福音書1章1-14節 1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 1:2 この言は、初めに神と共にあった。 1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 1:6 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。 1:7 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。 1:8 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。 1:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 1:10 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 1:11 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。 1:12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。 1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。 1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
2017.12.24 クリスマス記念礼拝(降誕祭)
日本福音ルーテル小倉教会 礼拝説教
ヨハネによる福音書1章1-14節「まことの光」
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン
クリスマス、おめでとうございます。今年も、主イエスのお生まれが私たちに告げられます。
さて、周りを見渡してみると、至る所に「光」があることに気づかされます。特に、火や電気は、私たちの生活にとって無くてはならないものです。昔は、日が暮れれば一日を終え、灯火を消して寝ていたことでしょう。けれども、現代では「眠らない街」という表現もあるように、都会では夜の間も光で溢れています。
日中は、太陽が私たちを照らします。直接日光を浴びることで温かさを感じますが、部屋の中にも光は差し込みます。つまり、何色の物でも、日の光を反射しているということです。
以前、沖縄にある洞窟(ガマ)の奥に入ったことがあります。そこでライトを消すように言われました。すると、触れることができそうなほどの暗闇に包まれました。何分経っても目が慣れることはありませんでした。薄暗い場所でも、常に私は光あるいは光の反射の中に生かされていることを知らされたのです。
「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった」(ヨハネ1:6-10)。
主イエスのお生まれは、真っ先に誰に伝えられたか。それは、荒れ野で夜通し羊を守っていた「羊飼いたち」です。
当時、羊飼いは皆から避けられていました。彼らは、羊の毛を売ることで生活いていましたから、365日羊の世話をしなければなりません。すると、「安息日」という神さまだけに心を向けるように言われていた日にも、働かなくてはなりません。つまり、生きるためには、聖書の掟を破らなければならなかったのです。また、他の人の土地へと勝手に入り、羊に草を食べさせることも掟に違反することでした。それに、野宿や羊の世話で、彼らの衣服は汚れ、臭いも染みついていたことでしょう。
神さまを大切にしたい気持ちはあるのに、他の人たちからは「掟を破る罪人は救われない」と言われてしまう。羊飼いたちにとって、社会は希望の見えない暗闇のように感じられたことでしょう。
しかし、主イエスがお生まれになったとき、その良い知らせは天使によって、真っ先に羊飼いたちに告げられたのです。
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」(ルカ2:11,12)。
日中は暖かくとも、夜は冷え込みます。そして、生まれたばかりの赤ちゃんにとって飼い葉桶に寝かせられるほど過酷な環境はありません。
けれども、救い主は動物の繋がれる馬小屋でお生まれになりました。王宮や病院でお生まれになったならば、罪人だという理由で、また、身なりの汚さが原因で、羊飼いたちは中に入れて貰えなかったことでしょう。羊飼いたちが今ある姿で会いに行くことができるように、神が馬小屋を選ばれたのだと思わずにはいられません。
暗い夜、マリアとヨセフに見守られながら、主イエスは馬小屋でお生まれになりました。誕生をお祝いするために集ったのは、先の見えない暗い生活を続けなければならなかった羊飼いたちです。
深い暗闇には、光は届きません。しかし、神はそのような暗闇の只中から、光を生み出される方であることを覚えたいのです。主イエスのお生まれは、マリアとヨセフにとって、また、社会から拒絶されていた羊飼いたちの希望の光でした。その光が、マリアとヨセフ、羊飼いたちを、喜びによって結び合わせたのです。
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」(1:14)。
暗闇のような世界に、真の光である主イエスはお生まれになりました。どこか遠くではなく、「わたしたちの間に」来られたのです。
羊飼いたちへと良い知らせ・福音が伝えられたとは、痛みや苦しさを背負いながら生きる私たちの間にも、主イエスが来てくださることの徴です。
主イエスは「まことの光」として世に来られました。その光は、死の先でさえも照らすのだと約束されています。主イエスという光に照らされる道を、私たちは歩んでまいります。この始まりのクリスマスを、共にお祝いしたいのです。
望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン
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