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まことの光(降誕祭)

  • Writer: jelckokura
    jelckokura
  • Dec 20, 2015
  • 5 min read

ヨハネによる福音書1章1-14節

1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 1:2 この言は、初めに神と共にあった。 1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 1:6 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。 1:7 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。 1:8 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。 1:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 1:10 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 1:11 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。 1:12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。 1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。 1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」(ヨハネ1:1-4)。

今から2000年ほど前、ローマ皇帝より故郷で住民登録するよう命令があったため、大工だったヨセフは婚約者のマリアと共に、ベツレヘムという町に向かいました。その町には、たくさんの人が帰ってきており、宿屋にも泊まる部屋はありません。12月の寒さの中、2人は馬小屋で風をしのぎつつ、夜を過ごすことになりました。その夜、マリアは男の子を生みました。そして、チクチクとした藁が敷かれた飼い葉桶に寝かされた赤ちゃんを、イエスと名づけたのです。

「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」(ヨハネ1:14)。

思えば、ナザレという小さな町に住むマリアの前に、天使が現れたことからすべての出来事が始まります。突然現れた天使は言いました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。…中略…マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」(ルカ1:28-31)。

マリアとヨセフは、結婚前に与えられた子どものことで、とても悩まされることとなりましたが、馬小屋で生まれた赤ちゃんと出会ったとき、天使によって告げられた神さまの御言葉が、本当に果たされたことを知らされたのです。

“神さまが話された言葉は、本当になる”と聞くとき、聖書の最初の出来事を思い起こします。

「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である」(創世記1:3-5)。

神さまは、御自身の言葉によって世界を造られたと告げられます。光あれと言われた時、光が生まれ、あなたのお腹に赤ちゃんを授けると言われると、本当に赤ちゃんが生まれてきました。ヨセフとマリアは、驚いたに違いありません。

神さまは、御自身の言葉によって生まれたイエスさまが、これからどのように歩んでいくのかを話しておられます。

「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。…中略…その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」(ヨハネ1:4-9)。

以前、洞窟に入ったとき、懐中電灯を消し、本当の暗闇を体験しました。一切光が入らないので、慣れて見えるようにはならず、不安で一歩も踏み出すことはできませんでした。改めて光の大切さを知らされました。イエスさまは、そのように人が生きていくために無くてはならない光として、この世界に来られたのだというのです。しかも、ただ見える光ではなく、どのようなものでも照らすことのできる“まことの光”として、です。

世界にはたくさんの痛みがあります。寂しい、苦しい、辛い、悲しい。そのような出来事は、私たちの心を暗くしていきます。誰にも相談できず、自分の力で解決できなければ、どうすればいいのでしょうか。光の届かない洞窟のように、不安で一歩も踏み出せず、途方に暮れるほかありません。昔も今も、この世界のどこにでも暗闇はあるのです。

しかし、だからこそ、神さまはまことの光として、イエスさまをこの世界に送ってくださったのです。誰一人、暗闇の中に立ち尽くすことがないように、痛い思いをしている人を癒し、何かに縛りつけられている人の縄をほどき、救い出すために、イエスさまは歩まれました。そして今、神を信じる私たち一人ひとりと共におられ、歩む道を照らしてくださっているのです。寒く、暗い馬小屋の中から、まことの光は輝き出しました。それは、私たちがこれから体験するであろうどのような暗闇からでも、すでにこれまで経験した暗闇からでさえ、神さまは御言葉によって、希望の光を造り出すことがおできになることのしるしです。

世界で初めのクリスマスに輝き出た希望の光は、これからも輝き続けます。こうして、私たちは、まことの光に照らされ続ける者として、これからの道を歩んで行けるのです。その光が届かない場所も、照らせない物もないのですから、安心して一歩を踏み出していきたい。神さまが私たちに与えられたイエスさまのお生まれというプレゼントを喜びつつ、共に祝いたいのです。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン

 
 
 

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