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小さな灯(クリスマスイヴ礼拝)

  • Writer: jelckokura
    jelckokura
  • Dec 23, 2013
  • 4 min read

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

クリスマスが近づくと、町ではクリスマスソングが流されるようになり、至る所にイルミネーションが飾られ、華やかなムードに包まれていきます。けれども、小倉教会のクリスマスイヴでは、一人ひとりがロウソクの火をもちつつ、静かに礼拝をいたします。なぜこのように静かな礼拝をするのか。それは、今から2000年ほど前、初めてのクリスマスに理由があるのです。

ガリラヤの小さな町ナザレに、マリアとヨセフは住んでいました。二人は婚約していたのです。そのような二人の生活の中、ある日マリアはお腹の中へと神さまから赤ちゃんが授けられたことを天使によって告げられました。当時は、現在の中高生くらいの年齢で結婚していましたから、若いマリアは急に母親となること、そして、どのように天使から告げられた出来事をヨセフへと話そうか悩まされることとなります。

ヨセフは、マリアのお腹に宿った子どもについて身に覚えがなかったため、ひそかにマリアと縁を切ろうと考えました。しかし、そのヨセフの夢に天使が現れ、父親となるように語り掛けたのです。目覚めたヨセフは、マリアと歩んで行く決心をしたのです。一方マリアは、突然の出来事に驚きつつも、神さまを信じる気持ちによって、母親となる道を引き受けたのでした。

さて、二人は「ナザレ」という町に住んでいたと申しましたが、ある日、当時の皇帝から“故郷へと戻って住民登録をするように”との勅令が出されたのです。二人は、ヨセフの故郷であるユダヤのベツレヘムという町へと旅に出ました。子どもがお腹に居る、ということは大変なことです。つわりで気分が悪くなったり、体調を崩しやすいのです。ベツレヘムへと辿り着いた二人は、すぐにでも宿屋で休みたかったことでしょう。けれども、他にも住民登録のために帰って来た人々で込み合っていたのでしょうか。宿屋には、彼らの泊まる部屋はありませんでした。旅の疲れもあり、もうマリアのお腹の中に居る子どもも生まれそうです。二人は馬小屋でその夜を過ごしたのです。

馬小屋には、ベッドも布団もありません。電気も通っていませんから、ロウソクで火を灯していたのでしょうか。風も吹き込んでくるような場所です。イエスさまは、そのような中でお生まれになりました。寝かされた場所は、飼い葉桶でした。家畜がご飯を食べる桶には藁が入っており、寒さは少ししのげたかもしれませんが、チクチクと肌を刺したことでしょう。周りにいたのは、マリアとヨセフ、そして家畜たちだけ。そのような暗く、静かな夜に救い主はお生まれになったのです。

彼らの他にも、救い主がお生まれになった出来事を知らされた人々がいました。野宿をしながら夜通し羊を守っていた羊飼いたちです。夜であるにも関わらず、急に主の栄光が周りを照らしたため、羊飼いたちは何が起こったのか分からず、非常に恐れました。その怯える羊飼いたちへと、天使は“救い主が町でお生まれになり、飼い葉桶に眠っている”と告げたのです。彼らは話し合って、ベツレヘムへと向かい、幼子イエスと出会うこととなったのです。

羊飼いは、毎日羊たちの世話をしなければなりませんから、週に一回「安息日」と呼ばれ、当時の法律で働いてはいけないと言われていた日にも働いていました。また、他人から奪ってはならないと言われていましたが、人の土地に入って羊に草を食べさせていました。そのため、羊飼いは罪人だと言われていたのです。そして、誰もやりたくない仕事をしている彼らは、社会のなかで差別されていたことでしょう。

しかし、その彼らのもとへと真っ先に救い主のお生まれが告げられました。苦しい生活を強いられていた人、差別されていた人など、本当に救い主を必要としてした人々にこそ、イエスさまのお生まれが知らされたのです。

もし、イエスさまがきらびやかな宮殿で生まれていたならば、社会的に身分の低い人々は会いに行くことは出来なかったでしょう。馬小屋であったからこそ、羊飼いは幼子と出会うことができたのです。そこに、私たちの救い主の姿があります。

マリアとヨセフ、そして、家畜に見守られてお生まれになったイエスさま。会いにやって来たのは、羊飼いだけ。そんな静かなクリスマスの出来事を私たちは思い起こしたいのです。私たちが手に持つロウソクは、イエスさまがお生まれになったことを知らされた羊飼いの希望の光のようです。小さいけれど、確かに輝く希望の光です。

私たちは暗闇のような辛い出来事と出会うこともあります。けれども、イエスさまがお生まれになったことで灯された灯はどんなときも消えることはありません。もっとも苦しい時に私たちを支え、見えなかった足もとを明るくし、行く道を照らし出してくださいます。

その喜びと信頼とをもって、私たちは歩み出していきたいのです。お生まれになったイエスさまは、これからの道もあなたと共におられます。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン


 
 
 

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